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【スターダム】岡田太郎社長「棚橋さんも巻いたベルトを、僕も巻きました」 麻布高から学プロ…37歳で経営者の半生

東スポWEB / 2024年7月2日 11時3分

岡田社長(左)にとって、新日本プロレスの棚橋社長は学プロの大先輩にあたる

女子プロレス界の盟主「スターダム」のかじ取り役を担うのが、岡田太郎社長(37)だ。昨年12月に社長に就任すると、わずか半年の間にエグゼクティブプロデューサーを務めたロッシー小川氏の解任や5選手の退団などがあり、団体の景色は様変わりした。一方でユニット再編の動きや、これまで交流のなかった他団体との関係構築など、〝岡田スターダム〟色が次第に出ている。世界一の団体を目指す若き社長のプロレスの原点とは――。

――社長就任から半年が経過した

岡田社長(以下岡田)社長交代、選手離脱、分裂と過去のプロレス史で何回か起きていることを体験させてもらって本当に濃密な半年間でした。この1、2か月ぐらいは会社としても団体としても、地盤固めをしてきました。昨年末にデビューした新人たちの顔つきがちょっと変わって、力がついてきた。第一線で試合をしている選手たちが、自分のことに集中して自身の苦悩などに向き合い始めたのもある意味、土台がある程度固まってきてる証拠かなと。ただ毎日、夢の中でもプロレスのことばかりで目が覚めてしまいます。

――プロレスの原点は

岡田 小さいころから祖父母の家で相撲、K―1、PRIDEをテレビで見ていて、新日本プロレスはG1をずっと見てましたね。「橋本真也負けたら即引退スペシャル」も本気で応援してたので、負けたことがショックで少しプロレスを離れた時期もありました。でも、明確にプロレスにハマったのは2002年のWWE「レッスルマニア18」のザ・ロック vs ハルク・ホーガンです。画面越しでも地響きが聞こえてくるような試合で、プロレスってすごいコンテンツだと惚れた瞬間ですね。中3の時にWWEの日本公演に行ったのが初めての生観戦。厳しめの野球部だったので、土日は練習で体が空かなかったので、お小遣いをためて、何とか毎年1・4の東京ドームは行くようになってましたね。

――どんな少年時代を

岡田 親も働いていたので、1人で好きなことに熱中しているような子でした。野球にハマったら選手名鑑見て研究しているような。体を動かすことも好きだったので、サッカーや野球もやって。背も高くて足も早かったです。でも、あまり裕福な家庭ではなかったので、どこかに行くとかよりは、家にこもって勉強してましたね。

――麻布中・高校を卒業したエリートだ

岡田 何をやったらいいかわからなかったから、とりあえず勉強して野球してプロレス見て、みたいな生活でした。大学受験の時期にレイザーラモンHGさんが大ブレークして、学生プロレスサークルの存在を知ったんです。しかも棚橋(弘至)さんも学プロ出身で、関西がどうやら有名らしいと耳にして。学校を絞る上で、国公立に行けたら野球を続けよう、私大に行くんだったら学生プロレスをやってみたい。プロレスもできて面白そうぐらいのテンションで同志社大を受けました。一番最初に受かってしまったので、もうプロレスをやる頭になっていました。

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