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【桟原将司連載#32】初登板から115試合連続無敗! 知らぬ間に作っていた記録なんです

東スポWEB / 2024年7月2日 11時5分

09年シーズンに初登板以来115試合連続無敗のNPB記録を樹立

【桟原将司 ハナの剛腕道中(32)】僕としては自分から自慢する記録ではないんですけどね。今でもお店をやらしてもらってて「なんか記録持ってましたよね」と声を掛けられることがあります。

デビューから僕の投手としての役割は、序盤で先発投手が崩れた時のロングリリーフやゲームでイニングをしっかり消化すること。つまり「JFK」を守ることが仕事でした。

自分自身に勝敗がつくことは非常に少ない役目です。すると、知らない間に連続試合無敗記録というものがついてきました。2009年の話です。担当記者の方から小耳に挟んだ情報によると、僕はプロ入りから黒星を喫したことがなかったんです。

09年9月21日の横浜戦で救援登板したとき、清川栄治さんを抜いて、初登板以来115試合連続無敗のNPB記録を樹立しました。というか、そんなこと意識もしたことなかったので、樹立していたみたいな状況でしたが…。

同じシーズンの10月3日のヤクルト戦で、鬼崎裕司選手に本塁打を打たれ、記録は116試合で止まったんですけどね。藤川球児さんとか久保田智之さんみたいに勝ち試合で投げまくって作った記録とかではないので、取材を受けてもコメントしづらい話題でしたね。

この記録は15年に巨人・高木京介に抜かれましたし、22年に阪神の後輩でもある島本浩也にも更新されるのですが、そのたびに自分の名前が出てくるので今となってはありがたい話ですね。

ただ、07年に右肘の手術も経験しましたし、野球選手としてはつらい時期を過ごしていました。08年なんて一軍登板ゼロでしたからね。選手としては向上しようと努力はしていましたが、あんまり記憶もない時期ですね。

デーブ大久保さん(西武、巨人OB、元楽天監督)が僕のお店でユーチューブのロケをしてくれた時に聞いた話ですが、もしかしたら僕は09年に西武にトレードされていた可能性があったんです。

実際は僕の大阪桐蔭の先輩でもある西武・水田圭介さんと、阪神・藤田太陽さんで成立するんですが、僕も候補だったということです。これはデーブさんが当時、西武の編成をされていて僕のことを見てくれていたということだったんです。

もう、あのころは今思えば体がボロボロでしたね。直接的に引退の引き金になる左膝のケガなんですが、もうテーピングでぐるぐる巻きでしたもんね。ギプスかというくらいに巻いてました。トレーナーにもどんだけテーピング使うねんとツッコミを受けるくらいにガチガチでした。そうしないと投げられない状態でした。

翌年の10年は6試合しか投げていないのですが、もう09年からずっと膝が痛くてどうにもならなかったです。あのシーズンは真弓明信監督の2年目で、マリナーズから城島健司さんが阪神に移籍してきたんですよ。

そして…。同年9月10日のヤクルト戦で僕の左膝が限界を迎えることになります。

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