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【桟原将司連載#34】ファーム最終戦で知った限界 ど真ん中に全力投球しても…

東スポWEB / 2024年7月4日 11時14分

阪神・岡田監督からは「ボールボーイ」と呼ばれていた

【桟原将司 ハナの剛腕道中(34)】2012年は僕にとって現役生活最後のシーズンとなりました。11年オフに阪神から戦力外通告を受け西武に移籍。結果的に一軍戦力として活躍はできませんでしたが、2月のキャンプはA班。つまり一軍スタートでした。それでもオープン戦で結果を残せず開幕は二軍スタート。イースタン・リーグでは結構、こんなに?というぐらいに投げましたけど、チャンスが訪れることはありませんでした。

6月くらいには、もう気持ちが折れていました。もう一軍に上がることはないだろうなと。

故障していた左膝の状態も良くはありませんでした。ある日、ブルペンで投げてるときに、踏み出した左膝に力が入らず転んでしまいました。

試合ではテーピング、サポーターを巻いて投げてはいましたが、最後は投げるたびに打たれました。で、クビを宣告される何日か前の、ファーム最終戦で橋本武広投手コーチが「最後は抑えようぜ」って言ってボールもらって。

ああ、もう今日が最後のピッチングやって思いながら。もうコントロールも何も気にせず、ど真ん中で全部全力投球しました。でも何してもファウルになるし。あーそうなんやな。これが限界なんやなと。結果、打たれて終わりました。

同年10月2日に西武から戦力外通告を受けて、10月末に引退を表明しました。

阪神で8シーズン、西武で1シーズン。一軍での実働で言えば6シーズンで123試合、5勝2敗2セーブ、3ホールド、防御率3.56という成績がNPBで僕が残した数字です。

阪神で最初のころはリリーフ投手の最年少だったので、チームの決まりでいつも試合前ノックの球出しをしてました。いつもベンチでボールケースを持って待機しているので、岡田監督から「ボールボーイ」と呼ばれてましたね。

登板試合は123試合ですけど“ボール出し”した試合数は300は超えてると思うので、通算423試合投げたことにしてくれへんかな。残した数字はすごい成績とは言えないですが、皆さんに覚えてもらえていることがうれしいですね。

青いグラブのサイドスローということで今季の開幕投手・青柳晃洋くんが出てきたころには「サジみたいなの出てきたね」と言ってもらえたり。今季、開幕一軍をつかんだ岡留英貴投手などは、平田ヘッドコーチが「昔、ウチにおった桟原みたいやろ」と話題にしてもらえて感謝です。

僕は岡留くんとは会ったこともないですが、報道とかで見て投げてんのかな? 頑張ってんのかなって思ったりしますもんね。

今でもドラフト同期で唯一の年下、小宮山慎二がブルペン捕手としてチームを支えてくれています。昨年、18年ぶりのリーグ優勝をした2日前、9月12日には甲子園に招待してもらいました。引退後、14年からスタートしたお店にも顔を出してくれるのでありがたいですね。

救援投手ユニット「SHE」を一緒に構成していた江草仁貴二軍投手コーチに至ってはカープで現役だった時代から毎回、お店に顔を出してくれていました。岡田監督もいきなり電話かかってきてひょっこり来てくれたり、僕をスカウトしてくれた佐野仙好さん、畑山俊二さんも来店いただきご縁に感謝しています。

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