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【ブル中野連載#13】アジャコングと「お別れだね」って…リングの上で泣いた90年8月19日

東スポWEB / 2024年7月8日 16時5分

入場時のブルは存在感抜群だった(90年11月)

【ブル中野・告白(13)】1990年8月19日の全日本女子プロレス後楽園ホール大会で、ブル中野&グリズリー岩本VSアジャコング&バイソン木村の「獄門党」同門対決が実現しました。史上初めて悪役同士がメインを張った試合です。今思うと誇らしいことですが、当時は「ぶっ殺してやる! コノヤロー!」って本当に思っているから壮絶な試合になりました。

私の中でもアジャと2回目にやった金網マッチの次くらいに覚えています。15歳で入団したころのアジャは細くて、イジメられている子だったから、いつもかわいがっていました。そのアジャが「ブル、お前を超えてやる。ぶっ殺してやるからな!」とマイクでアピールしてきたんです。

「えっ、あのアジャが?」と思って、久しぶりにリングの上で泣きましたね。本当にこれから戦っていくんだなっていうのがわかりましたし、アジャにもその覚悟が見えたので。私もこいつを殺す気持ちでいかなきゃいけないと思ったので、これでお別れだねって。

アジャと(ユーチューブ)「ぶるちゃんねる」で話したのですが、当時のアジャは、そんなつもりはなかったけど、バイソンの方が乗り気で突っ走ってるから、しょうがないなみたいな感じだったそうです(笑い)。

とにかく「お前ら人気者になろうなんて思うなよ」と会社から言われていた悪役同士がメインで試合ができたんですからね。悪役同士の試合をお客さんがチケットを買って見に来てくれる時代に変わったということですから、トップとして自分がやれることは全部やった結果かなと思います。

ちょうどアジャとやるようになったころ、体重が92キロから増えず、ステロイドを打っていました。100キロになって、この世のものじゃないものになろうと思ったんです。それが最終的に髪を立てて顔にラインを入れてのブル中野になったんです。髪を立てたのは当時、(ロックバンド)BUCK―TICKが好きだったからですが、X JAPANが先に髪を立てていたのかな。「あっ、これなら大きく見えるな」って思って立てました。あれは試合前にダイエースプレー(エレーヌヘアスプレー)1本弱とドライヤーを使って30分くらいかけてやっていました。

当然、ステロイドの副作用もありました。ヒゲが生えて生理が止まり、すね毛が生えて…。声が出なくなったのがきっかけでやめたんですけど、1年弱はやっていたと思います。医師には打つたびに「寿命が縮むからね」と言われましたが、「はい、お願いします」と言って。先のことは考えていなかったのです。

こうして9月にアジャとの最初の金網マッチを迎えるのですが、そのときの試合が本当にひどくて。お客さんからは…。

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