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【ヤクルト】畠山和洋二軍打撃コーチ突然の退団の謎…残念というほかに言葉がない

東スポWEB / 2024年7月9日 11時40分

15年の優勝に貢献した畠山和洋氏

【赤ペン! 赤坂英一】最近、これほど驚き、寂しい思いをした事件はほかにない。ヤクルト・畠山和洋二軍打撃コーチの突然の退団である。

理由は6月30日に「一身上の都合」と球団公式ホームページで発表されただけ。ギャンブルに明け暮れて多額の借金を重ねていたとも伝えられるが、真相はいまだに分からない。

畠山は現役時代、小川淳司監督(現GM)に見いだされた。2010年、高田繁前監督が成績不振で休養したため、ヘッドコーチだった小川が代行に就任。4番候補の新外国人ホワイトセルが未知数だったことから、二軍暮らしの長かった畠山を引っ張り上げたのだ。

この時、畠山はすでに10年目。もう終わった選手だと思われていた。二軍では2年目に19本塁打、56打点で2冠を獲得した。が、畠山本人はこう明かしている。

「二軍のタイトルなんて取れて当たり前だと思ってました。野球は仕事だという意識も全然ない。ただ何となくやってるだけで打てたんですよ」

練習態度はチャランポラン。遅刻の常習犯で、コーチとの約束も平気ですっぽかした。「野球をナメてた」と本人も言う。

そんな二軍の“お山の大将”も04年に初昇格した一軍では通用せず。レベルの高い投手を打ちあぐね、縮こまって当てにいくようになった。

「一軍で生き残るには、そうするしかないと思ってた。あのころは凡退してベンチへ帰るとき、主力の古田(敦也)さんや宮本(慎也)さんたちの目が怖かったから」

当時、二軍監督だった小川は、そんな畠山を呼び、懇々と諭したという。

「おまえの魅力は何だ。足は遅いし、守備もうまくはない。生き残りたいなら長打力で勝負しろ」

普段の練習態度から改める必要もあった。

「しっかりと野球に取り組んだらどうだ。辞めなきゃならなくなってから後悔しても遅いんだぞ」

小川は一軍の監督代行となった10年、ホワイトセルがケガをすると畠山を4番に抜てき。畠山はその期待に応え、阪神戦で満塁本塁打を放った。

「あれで僕は変われた。あの一発がなかったら、その後の僕もなかった」

小川監督はさらに畠山を一塁から外野へコンバート。レギュラーに定着させようと自ら外野守備を教え込んだ。こうして畠山は真中監督の下で15年の優勝に貢献。打点王にも輝いたのである。

あれから9年。畠山は自分の経験を生かし、ヤクルトに還元すべき二軍の指導者となってから、球団を追われた。残念というほかに言葉がない。

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