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【ブル中野連載#14】アジャコングと金網マッチ再戦 5メートル目線からギロチン! 背骨が…

東スポWEB / 2024年7月9日 16時3分

ブル(左)とアジャが死闘(90年11月14日)

【ブル中野・告白(14)】1990年9月1日の全日本女子プロレス大宮スケートセンター大会。アジャコングと女子プロでは異例の金網マッチで対戦することになりました。レフェリーはユニバーサルプロレスのブルドッグ・KT(後の外道)です。試合はエスケープルールだったのですが、アジャ派のレフェリーだったため、ブルドッグ・KTの肩を借りて金網の外に出られて負けました。

あの時は事前に金網の練習ができないから、どういうふうに利用していいのかわかりませんでした。資料も国際プロレスさんでやった試合くらいしかなくて。とにかくアジャとの試合が本当にひどくて、お客さんから「金返せ!」コールが起きましたね。おまけにアルミ缶でやられて脚を52針ですよ…。

2か月半後、11月14日の横浜文化体育館大会で再びアジャとの金網マッチが組まれました。次は負けたとしても引退、勝ったとしても引退だろうなっていうくらいの全女からの肩たたきというか、そういうのがあったんです。でも勝つとしたら絶対に「ブル中野、ここにあり」っていうのを証明しなかったら生き残れないと思っていました。

部屋中にアジャの写真を貼って、家でも絶対に金網の試合のことを忘れないようにしました。眠れない日々が続きましたが、金網のテッペンからギロチンをやろうと決めたときから、やっと眠れるようになったんです。これで勝っても負けても、お客さんは多分沸くだろうと。正直、背骨が突き出して「死ぬ」と思っていました。でも、万が一うまくいけば生きてるだろうなって。

試合中、実際に金網の上に立つとアジャがすごく小さく見えました。金網の高さが約3メートルで、私は1メートル70センチ。ほぼ5メートルの目線ですから飛ぶのが怖いなと思ったんです。それでとっさに手を拝むように合わせて、この手が離れたら飛ぼうって思って、そのタイミングで飛びました。

着地した瞬間は背骨が飛び出るような感じでしたが、ボヨーンとバウンドして立っちゃったんです。「あっ、生きてる」と思った瞬間、エスケープルールだったのですぐに金網から逃げようとしました。本当なら反対のコーナーに走って出た方が一番きれいだと思ったんですが、とにかく出なくちゃいけないと、近い出口から金網の外に出た感じです。その時にはわからなかったんですけど、後から検査したら背骨が欠けていました…。

引退を覚悟して臨んだ一戦でしたが、しっかりと決着をつけることができて、自分の存在感を表すことができた試合になったと思います。次の日も地方で試合だったので余韻とかも何もなく、すぐに試合をしていましたね。だけど、アジャとの抗争はこれで終わりではなかったのです。

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