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【菊地敏幸連載#2】最後まで逆指名を争った近鉄の金額は…藪恵壹に探りを入れた

東スポWEB / 2024年7月10日 11時5分

水面下では近鉄が…。藪恵壹への条件の上乗せは即決だった

【菊地敏幸 辣腕スカウトの虎眼力(2)】1991年春、私は東京経済大4年の藪恵壹にひと目ぼれしました。何より体のバランスが良く、ルックスも男前。当時は5番を打っていたと思いますが、すぐに東京経済大の監督の元へあいさつに行きました。

そして何とか阪神でプレーをというお話もさせていただきました。ただ、その時点で朝日生命への内定が決まっているという状況でした。すぐさま朝日生命とも連絡を取りました。ですが「菊地さん今回は残念です。ダメですね。もうウチに決定しちゃってるんです」とのこと。この時はご縁がなかったわけです。

東京経済大の監督、朝日生命の関係者には「今回は手を引きますが、もし他球団に変な動きがあった時はくれぐれも一報をお願いしますよ」と念押しだけはしておきました。これだけしっかり断られたわけですから。大学から社会人に進むということは、ドラフト指名可能になる2年後を見据えてマークしますよね。

この時点で91年。これが重要なんです。藪が阪神にドラフト指名されるのは93年です。結果的に社会人の朝日生命を経て、2年後にこの年から導入された逆指名制度を利用して阪神が指名にこぎつけるわけですから。

大学時代にそのポテンシャルにほれて、そこからはほぼベタ付き。徹底マークです。当時、朝日生命が練習していたグラウンドは私の自宅から車で20分ほどの距離にありました。それはもう通い詰めました。当初は逆指名制度が導入されるなんて思ってもいませんでしたが、気づいた時には他球団より優位な立場にいたわけです。

藪のところには途中から巨人も参戦してきました。当時の報道では、阪神はミスター・アマ野球の異名を取った日本生命の杉浦正則を指名するだろうということになっていました。

ですが、私は球団上層部に藪がイチ押しだと言い続けていました。球団からも内密に「藪でいくからしっかり押さえておけ」とも言われていました。本人の意思としては早い段階で阪神だったと思います。

巨人はスッと引いてくれました。これだけ前もって仕事をしているところとは争えないということです。でも、しぶとかったのは近鉄、オリックスでした。最後まで残ったのは近鉄でしたね。

当時は逆指名選手を獲得するためにかかる金銭に関してオープンな時代でした。標準額(契約金1億円、プラス出来高は契約金の50%以下)はありましたが、あくまで標準額。藪とは近鉄とホテルで面会した直後に会って条件を確認しました。近鉄は後から参戦してきたので当然、阪神が提示した金額を上回っています。本人は条件面の数字をはっきりとは言わなかったですけどね。

こちらが指で「これぐらいか? もうちょっと上!?」と探りを入れると、ある程度のところで首を縦に振りました。その時点で私には権限などありませんが、上乗せすると確約しました。こんな場面で「会社に持ち帰って相談」じゃダメなんです。

当時の上司も「それで結構です」と数千万円の上乗せを了承してくれました。でも、後に分かったことなんですが、近鉄の数字はもっと上だったそうなんです…。

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