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【菊地敏幸連載#3】「逆指名」悪しき過去のように言われるけど、駆け引きが面白かった

東スポWEB / 2024年7月11日 11時22分

スカウト冥利に尽きた藪獲得。両親の言葉に安心した

【菊地敏幸 辣腕スカウトの虎眼力(3)】阪神が藪恵壹の指名にこぎつけた1993年は逆指名の初年度でした。世間的な注目が集まった年でもあり、大学・社会人の選手では神奈川大の渡辺秀一(ダイエー)、関東学院大の河原隆一(横浜)、NTT四国の山部太(ヤクルト)、日本生命の杉浦正則(プロ入りせず)がドラフトの目玉とされていました。複数の球団が彼らのような有力選手の獲得を目指す中で、私は藪を追っていました。

朝日生命は社会人野球の強豪というわけではありませんでした。藪自身もそれほど注目を浴びていたというわけではありません。2年目に熊谷組の補強選手として都市対抗野球に出場してはいますが、こちら側は内心ではそんなに目立たないでいいからなと思っていました。

2年後、藪は順調に成長してくれていました。当時の横溝スカウト部長と渡辺スカウトにも、その目で実物を確認してもらうため視察に来てもらいました。みんなの意見は一致し、逆指名は藪でという方針が固まりました。

藪も朝日生命の監督も「阪神一本です」と言ってくれていて、あとはいつ発表するか。これに関してはいの一番にやりたいという思いがあったのですが、なかなか決まらずヤキモキした思い出があります。

当時の朝日生命の野球部部長が「もう少し他球団の情報も聞いておきたい」と条件の上乗せを狙っていたようです。そうして逆指名の意思を発表しない間に参戦してきたのが近鉄、オリックスでした。前回にも書いた内容ですが、近鉄が最後まで撤退せず長期戦です。

近鉄が京王プラザホテルで藪と面談。私は近くの喫茶店で待機です。藪と近鉄のアポの時間から2時間後ぐらいでしたかね。藪が走って僕のところに来てくれました。阪神が当時提示していた契約金は1億2000万円。確か阪神はそこに2000万円を足したはずです。そもそも藪はお金に関してしっかり管理できるタイプ。ただ、もうあの時点ではお金ではなかったんでしょうね。

晴れて阪神の逆指名第1号となった藪。その後、ご両親にもごあいさつをと打診しましたが「僕はもう社会人ですから。自分で決めることなんで会わなくても大丈夫です。ちゃんと僕から両親には報告します」とのことでした。

ドラフト当日には藪のご両親からありがたい言葉をいただきました。「ちゃんと息子から聞いていますよ。私たちが想像していた通りの菊地さんです。安心して息子を預けることができます」。スカウト冥利に尽きました。

93年ドラフトで藪を逆指名で獲得できたということは、私としては会心というよりも、ホッと安心できたというのが正直なところでした。同年から2006年まで存在した制度がいわゆる「逆指名」であり、名称は「希望入団枠」など変遷していき、最終的には裏金問題などで消滅しました。

良くも悪くも現行制度とは違い、いかに逆指名してもらうのか、こちらとしては腕の見せどころみたいな部分があったのは事実です。今ではあしき過去のように言われてはいますが、スカウト同士の駆け引きなど面白い面もありました。とはいえ、現在の完全入札制というのが今の社会には合っているのでしょうね。

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