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【ブル中野連載#18】WWFに参戦NYへ! ショーン・マイケルズも私の戦いを見ていましたね

東スポWEB / 2024年7月17日 16時10分

米国では観客からブーイングも(94年8月)

【ブル中野・告白(18)】1993年、WWF(現WWE)に参戦するためニューヨークへ。マンハッタンのホテルで朝食のため、レストランへ行くと、フロアの真ん中にあるテーブルにポツンと座らされたのですが、怖かったですね。当時115キロあって、日本には私より大きい人って男性でも少ないのに、みんな大きい。それにホテルの外はマリフアナのにおいがするし…。「日本のことは忘れなきゃ」と鼓舞するんだけど、気づいたらガムの包み紙で折り鶴を折っているんです。「忘れると言いながら日本じゃん!」って…(笑い)。

WWFでは月に27~28試合も組んでくれました。試合に関しての不安は全くなかったですね。全女以上のことをやっている団体は世界中を探してもないと思っていたんで。しかも相手は毎日アランドラ・ブレイズ(メデューサ)。日本でも対戦していたので。男子の選手も私の試合を見に来て、次の日にマネされたこともありました。ショーン・マイケルズも私の戦いを見ていましたね。

その後、拠点をニューヨークからテネシー州ナッシュビルに移しました。WWF選手の奥さんが日本人とのハーフの方だったので、家に泊まらせてもらったんです。日本でアイドルをやっていたパティという方で、日本語も話せたので、本当に助かりました。

試合は楽しくやっていたんですが、とにかく生活が大変でした。試合が終わると電話帳で調べてホテルを探さなきゃいけない。免許を持ってなかったので、空港のバッゲージクレーム(荷物受取所)に着くとレスラーっぽい人を見つけては「WWF?」って聞いて乗せてもらい割り勘で支払っていました。

その後ニューヨークに引っ越してアパートを借りました。山崎五紀さん(※)の旦那さんがやってるジャパニーズレストランに行けば、日本語が話せるのですが、ツアーに出ちゃうと、ひと言もしゃべらなかったですね。ただマネジャーのルナ・バションがお母さんみたいな感じでいろいろ世話をしてくれました。日本から記者さんが来ると「ブルがホームシックになってるから日本語でしゃべってあげて」って控室に入れてくれて。今みたいにケータイもネットもないから、日本への電話代は月に100万円とかでしたよ。

だけどギャラは良かったです。全女から基本給はもらっていたし、当時WWFは毎大会1万、2万人と入っている観客数のパーセンテージでもらえたんです。当時1ドル99円くらいで、3分間で100万円というのが一番多くもらった金額かな。それでも94年には日本に戻り、再び団体対抗戦に出ることになるのです。

※デビル雅美率いる「デビル軍団」に所属。解散後は立野記代とJBエンジェルスを結成し、WWFにも参戦した

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