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【ブル中野連載#19】WWF世界女子王座戦はコスチュームが届かず「ヌンチャクだけで」初戴冠

東スポWEB / 2024年7月18日 16時0分

ブレイズ(右)からWWF女子王座を奪取(94年11月)

【ブル中野・告白(19)】主戦場としていた米WWF(現WWE)から1994年に全日本女子プロレスのリングに戻りました。日本は団体対抗戦が盛り上がっていて、7月14日のLLPW東京体育館大会では、神取忍とチェーンデスマッチで対戦しました。神取とは初のシングルなので、それだけで注目されます。私は1回目なのでチェーンデスマッチにしなくてもお客さんは沸くと思っていましたが、神取の方が「今までのチェーンデスマッチで沸いたことがないから歴史をつくりたい」という感じでした。

自分としてはチェーンを使って何ができるかだけ考えていました。その結果、ヌンチャクをチェーンでやろうと。これをやれば「沸くな」と思って。とにかく神取が真ん中に立っていれば、自分が動いて沸かせてやろうと思っていましたね。試合はチェーンラリアートと延髄へのチェーンギロチンで勝ちました。

11月20日の東京ドーム大会ではアランドラ・ブレイズ(メデューサ)を破りWWF世界女子王座を初戴冠しました。米国では大きい大会では毎回タイトルマッチをやって、それまで一度も勝てていなかったのです。この試合はWWFの衣装担当の方にコスチュームを頼んでいたんですが、日本に届かなくて…。メデューサはハーレーに乗ってド派手に入場しているのに、私はヌンチャクだけでしたよ。

試合は、差別化を図る意味でも今までやってきたアメリカンプロレスをやろうと思いました。なのにメデューサが日本のプロレスをやろうとしたんです。ずっと対抗戦をやってきた選手たちに、それでは勝てるわけないのに…。だから米国でやる時以上にかみ合わない試合でしたね。

とにかくものすごい数のタイトルマッチをやって負けてきたので「やっと取れたな」という感じです。WWFのベルトの価値が日本の方にはあまり伝わってなかったので、私が取ったことで広まっていけばいいなと思っていましたね。

95年の4月には、アントニオ猪木さんが北朝鮮・平壌のメーデースタジアムで開催した「平和の祭典」に参加します。ニューヨークに住んでいたとき、猪木さんが日本人コミュニティーの中で講演をされて、日本食レストランでの食事会で初めてお会いしました。プロレスを好きになったきっかけが猪木さんですからね、最初は何もしゃべれません。「WWFでやってるの? 頑張ってね」から「北朝鮮で試合するけど来る?」みたいな流れで、全女から私と北斗晶、豊田真奈美、吉田万里子が参加しました。

約19万人の前で試合をするのは二度とないことなので貴重な経験になりました。この後、再び米国に渡るのですが選手生命にかかわるケガを負ってしまうのです。

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