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麻雀プロ創成期は「嵐の中の船出」伊藤優孝75歳「天運に頼らず地運を育てる」【前編】

東スポWEB / 2024年7月21日 11時10分

しかし結婚後、業界は風雲急を告げていた。「麻雀のプロ団体ができる機運が高まっている…そんな夢のような話を聞いてしまったものだから、再び麻雀熱に火がついてしまった。仕事が終われば、プロを目指す若手が集っていた渋谷若獅子戦という競技麻雀リーグに参加するようになったんだ。そこには後に日本プロ麻雀連盟で同期となる森山茂和、当時東大生だった井出洋介らがいて、小島武夫先生や作家のムツゴロウさんも顔を出していたから、ほとんど家に帰らなくなったんだ」。結婚生活は長くは続かなかった。

1981年、小島武夫会長、灘麻太郎理事長という二頭体制で日本プロ麻雀連盟が創設され、伊藤は1期生となった。「連盟創設前から小島、灘はスーパースターだったから、プロ団体ができるということは、職業として食っていける時代が来るんだなと思っていた。でも実際には嵐の中の船出。それまでは麻雀プロという肩書は、出版社や新聞社それぞれの“誌上プロ”という扱いだったから、麻雀プロが団体を発足しようとすると、一体誰がプロと認めたの?という話になり、ひと悶着が起きたんだ。しかもなぜか俺はそういうもめ事の現場によくいちゃうんだよね。悲しいことに(苦笑)」

創設から4~5年は苦難の連続だったが、プロは実力の世界。日本プロ麻雀連盟は雀力で道を切り開いていった。

「若手では森山が王位を取り、翌年からは灘さんが王位を4連覇。俺も最強位を取り、荒正義をはじめ、安藤満、前原雄大、土田浩翔らが活躍して、実力で巻き返していったんだ」

団体内ではこれまで競技委員長など様々な役職も歴任してきた。

「小島先生はとにかくおおらかだったんで、対局日に福岡の競艇場にいたなんてこともあったんだ。以来、対局前は付きっきり。おかげで全国24か所の競艇場を全部一緒に回ったね(笑い)」

異名は“死神の優”。

「めったにオリないから最初はボコボコにやられる。でもところがどっこいまだ生きてまっせと復活することが多かったからそう呼ばれたのかもしれない。ボクシングをやっていた学生時代、目がぎょろっとして麻雀を打っていたら、死神みたいだななんて言われたことはあったけどね」

※後編に続く

☆いとう・ゆうこう 1949年7月11日、秋田県生まれ。A型。日本プロ麻雀連盟副会長。主な獲得タイトルは第1期大阪カップ、第3・6期雀鬼会、第3期最強位、第6期雀魔王、第9期鳳凰位、第6・7期發王位、第4・6期麻雀マスターズ、第36期十段位他。“雀鬼”桜井章一が立ち上げた麻雀道場「雀鬼会」1期生でもあり、そこで学んだことを後輩プロたちに伝えるべく、2001年に麻雀道場「漢塾」を開いた。

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