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【菊地敏幸連載#13】不思議な投手だった弓長起浩 大分のお父さんも豪快な人でした

東スポWEB / 2024年7月31日 11時13分

貴重な中継ぎ左腕としてフル回転した弓長起浩

【菊地敏幸 辣腕スカウトの虎眼力(13)】前回は1994年ドラフトに関して書かせていただきましたが、少し巻き戻して今回は91年。ドラフト1位が夏の甲子園で全国制覇を果たした大阪桐蔭の主砲・萩原誠内野手だったシーズンです。ミスタータイガース・掛布雅之の背番号31を背負って期待を寄せられましたが、プロでは頭角を現すまでには至りませんでした。

2位は東海大甲府高から日本石油の久慈照嘉です。堅実な守備で1年目から遊撃のレギュラーに定着し、新人王を獲得しました。中日に移籍し、リーグ優勝も経験して最後は阪神で引退。その後は阪神でコーチも務め、チームに貢献してくれました。

4位は現役終盤に「代打の神様」として多くの虎党の記憶に刻まれた左打者・桧山進次郎外野手(平安~東洋大)です。暗黒時代といわれた低迷期から打線の中心として活躍し2003年、05年のリーグ優勝にも貢献してくれました。担当スカウトは今成スカウトでしたね。

私が担当したのは3位の弓長起浩投手です。大分・国東高から亜細亜大、熊谷組を経て阪神にやってきた左腕です。
これが不思議な投手でした。目を見張るような剛速球があるというわけではないんですが、とにかくなかなか打たれない。結果を残すので評価はしていたんですが、ぱっと見て良さを表現しづらい投手でした。

社会人野球界にはそれなりに横のつながりのある人間もいましたから、対戦チームの関係者を通じて「弓長の何がいいんだよ?」って質問してみたんです。そうすると「いやねえ、弓長のボールはめちゃくちゃ動いてるんですよ」という回答でした。今で言うツーシームのようなボールを駆使していたわけです。

当時の阪神の投手陣を考えると、先発でどうこうというピースではなかった。ただ、大学から社会人を通じて全然、肩肘も壊したことがないというタフさも持ち合わせている。中継ぎでの補強となれば十分に通用するんじゃないかということで、上司に獲得を推しました。

弓長の1年目は92年シーズン。亀山、新庄フィーバーで大いに沸きました。その中で貴重な中継ぎ左腕として積極的に起用され、守護神の田村勤が故障離脱後はクローザーも務めるなどフル回転で活躍してくれました。チームトップの51試合に登板し4勝1敗4セーブ、防御率1.35は立派な数字でしょう。

その後も入団1年目から3年連続で50試合以上に登板。98年はリーグトップの57試合に登板し防御率1.69を記録するなど90年代のタイガースを支えてくれました。通算11年で400試合全てにリリーフ登板と、よく頑張ってくれました。

弓長は大分のお父さんも印象的でしたね。地元にあいさつに訪れた際にはそれは歓待でもてなしていただきました。家業の焼き肉屋さんからスタートして、近くのホテルには何十人も集まっていて飲めや、飲めやの大騒ぎです。こちらは1人で乗り込んでいますから、もう酔いつぶれてしまうところでした。

その後もまだホテルで「一杯やりましょう!」って…。そんな豪快なお父さんに育てられたわけですから、本人も根性が据わっていてプロ向きの性格だと感じましたね。

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