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【菊地敏幸連載#21】周囲の評価が低かった赤星憲広を「プロでも打てる」と感じた瞬間

東スポWEB / 2024年8月15日 11時9分

阪神へドラフト4位入団した赤星は猛虎のスピードスターだった

【菊地敏幸 辣腕スカウトの虎眼力(21)】今回は2000年ドラフトに関してお話しさせてもらいます。まずは逆指名1位で藤田太陽投手(秋田・新屋高↓川崎製鉄千葉)の獲得に成功。太陽に関しては佐野仙好スカウトが尽力してくれました。

秋田でご実家が営んでいた飲食店に佐野スカウトが足しげく通って、巨人との獲得競争に勝ったわけです。太陽も「阪神に入って巨人を倒す」とおとこ気のある言葉でタイガースを選んでくれました。

度重なる故障で期待されながら阪神では大活躍とまではいきませんでした。それでも西武に移籍した10年には48試合に登板し、6勝3敗と、セットアッパーとして活躍してくれました。今では富山の社会人チーム・ロキテクノ野球部の監督として球界に貢献してくれています。

2位は伊達昌司投手(法政二高↓法政大↓プリンスホテル)です。高校の後輩でもあり期待していました。ルーキーイヤーの01年は6月17日の横浜戦でプロ初先発。チームとしては1984年の池田親興以来、17年ぶりの新人プロ初先発初勝利を挙げました。今は教師になって都立雪谷高の野球部監督として球界を盛り上げてくれています。

3位は狩野恵輔捕手(前橋工高)です。09年に127試合に出場するなど強打の捕手として活躍してくれました。晩年は代打の切り札としても虎党を喜ばせてくれる存在でした。関西では解説者としても活躍しているみたいですね。

そして4位が私が担当した赤星憲広外野手(愛知県立大府高↓亜細亜大↓JR東日本)です。赤星は阪神にご縁があったんでしょうね。社会人野球2年目の00年にシドニー五輪強化指定選手として阪神の春季キャンプに参加していました。ただ、目立ってなかったんだよねぇ。

そういう指導をされていたんだと思うんですが、快足を生かすために走り打ちのような打撃フォームでね。とにかくゴロを打てみたいな打ち方をしていました。

そういうこともあって、プロでは打撃が難しいかなというのが周囲の評価でした。

球団からも赤星をしっかりマークしておけという空気は感じられませんでした。ただ、キャンプが終わってからJR東日本の練習を見に行った時、私の評価は一気に変わりました。

JR東日本野球部はその日、ピッチングマシンを150キロ設定にして打撃練習を行っていました。さらに打席の前に立ってスイングするという具合です。この練習で打球を前に飛ばせていたのはスラッガータイプの1人の選手と、赤星だけでした。このシーンを見て私は「赤星はプロでも打てる」と直感的に思いました。

タイミング的にセンターのレギュラーだった新庄剛志がメジャーリーグ挑戦で渡米するという状況です。私はこの時点で赤星の評価を上げました。4位あたりでの指名を想定して実際に獲りに行く方針で動き出しました。その考えを赤星本人にも伝えました。順位に関してはまだ分からないがドラフトで指名するぞと。

ただ、ドラフト当日にはいろいろとありました。当時の野村克也監督はショートを獲りたかったという事情もありまして…。結果的には

予定通り4位で赤星を獲得することはできましたが、次回はそのあたりの経緯についても書かせていただきます。

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