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親日家だったアラン・ドロンさん 数々のスキャンダルに見舞われた「二枚目スター」の素顔

東スポWEB / 2024年8月19日 6時17分

1977年に5度目の来日をしたアラン・ドロン。左は三船敏郎

映画「太陽がいっぱい」などに出演し、「二枚目スター」の代名詞として絶大な人気を博したフランスの俳優アラン・ドロンさんが死去したことが18日、明らかになった。88歳だった。複数のフランスメディアが報じた。数々のスキャンダルに見舞われながらも、俳優としての存在感は随一。日本にも何度も来日するなど親日家としても知られた。

フランスメディアによると、親族が18日に声明を発表。中部ロワレ県の自宅で「親族に囲まれて安らかに亡くなりました」と明らかにした。2019年に脳卒中を発症し、近年は療養生活を送っていたという。

ドロンさんは1935年にパリ郊外で生まれた。17歳で志願してインドシナ戦争に従軍。57年、カンヌ国際映画祭を訪れた際にスカウトされ、同年「女が事件にからむ時」で銀幕デビュー。そして60年の「太陽がいっぱい」では、友人を殺して財産を狙う、貧しい青年役を好演して一躍スターとなった。

「その美貌とギラギラした雰囲気に、世界中の女性ファンがメロメロになりました。インタビューに答えるときも『女性が私を愛してくれなければダメなんです』とサラリと言ってのけ、まったくキザじゃない。むしろ似合っていましよ」(映画関係者)

その後も「山猫」(63年)、「地下室のメロディー」(同)、「ボルサリーノ」(70年)など話題作に出演。「レッド・サン」(71年)では故三船敏郎さんとも共演し、日本でも人気を集めた。

77年4月に5度目の来日を果たしたときは大フィーバー。ドロンさんは新作「友よ静かに死ね」のPRと、三船プロ創立15周年記念パーティー出席のために来日した。羽田空港にはファン約1000人が殺到し、機動隊が50人も出動する騒ぎになったという。

当時を知る芸能プロ関係者は「羽田空港の到着ゲートにファンが集まり、パニック状態。機動隊ともみ合いになるなど大混乱でした。ドロンさんが裏口からこっそり出たことがわかると、ファンからは怒りと悲鳴の声が上がりました」と振り返る。

最大のスキャンダルと言えば、68年10月にドロンさんのボディーガードが殺害された事件だろう。ドロンさんまで犯人扱いされ、フランス中の大騒動になったのだ。

「52時間も尋問を受けたそうですが、本人は否定。結局事件は未解決のまま捜査が打ち切られました。ただ、内定していた芸術文化勲章を取り消されるなど影響が残りました」(前出の映画関係者)

私生活では、ナタリー・ドロンさんと離婚し、ミレーユ・ダルクさんと事実婚状態だったが、女性関係は華やかで、さまざまな浮名を流した。晩年に連れ添った日本出身の女性とドロンさんの家族が訴訟合戦を展開したことも。また、今年2月には検察がドロンさんの自宅から無許可の銃を大量に押収するなど騒動に事欠かなかった。

ドロンさんは、多くの作品に携わったものの、希望した賞とはほとんど無縁だったとされる。2019年のカンヌ国際映画祭で「名誉パルムドール」を受賞した際には舞台上で〝男泣き〟。満場の拍手に「女性の前でもこんなふうに泣いたことはない」と、〝らしさ全開〟のスピーチを披露して話題をさらった。

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