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【ザ・グレート・カブキ連載#2】日本プロレス合宿所は東京・赤坂「リキマンション」の隣で…

東スポWEB / 2024年8月20日 16時9分

酔った大熊(左)はいつも米良に攻撃を仕掛けた

【ザ・グレート・カブキ 毒霧の真実(2)】1964年3月、中学の卒業式から3日ほどしたころには自分は上京して日本プロレスの合宿所に入っていました。母が快く送り出してくれて、ありがたかったのをよく覚えています。

日本プロレスの合宿所は赤坂にある「リキマンション」の隣でした。2階建てで大きかったね。1階には30畳ほどの大部屋が1つと40畳ほどの台所と食堂、トイレが2つと洗濯場があって。2階は確か8部屋くらい個室がありました。当時の寮長はミツ・ヒライさん(※)で個室は先輩たちが住んでいました。入ったばかりの自分は「坊や」って呼ばれて1階の大部屋で寝ていました。

合宿所の生活は楽しかったですよ。みんな先輩だったから、かわいがられていました。例えば?

大部屋で寝ていると酔っぱらって帰ってきた熊さん(大熊元司)が勝手に入ってきてスプラッシュ(ボディープレス)してくるんですよ。大部屋にはカギとかないので大変でしたよ。しばらくしたら押し入れの中で寝るようになりました(笑い)。みんな20代で若かったですからね。ベロベロに酔っぱらって帰ってきていたから、そんなことは日常茶飯事でした。

もちろん、一番年下だから、ちゃんこ番もやらされました。早く起きてつくるんですけど、合宿所は東京の赤坂。一等地でしょ。そこの青果店とか鮮魚店、精肉店に買いに行くから食材もいいものばかりでしたよ。料理もあまり困らなかったですよ。子供のころから母の手伝いをしていましたから。だけど、最初は苦労したかな。力道山がお相撲出身だったから、その流れで食事はちゃんこになるんだけど、それまでちゃんこなんてつくったことがなかったからね。でもまあ、先輩に教わってすぐ覚えました。

当時のちゃんこは魚より肉を入れることが多かったです。お相撲出身の選手が多かったから、基本は一緒。大体は水炊きをポン酢で食べる。それがみんな好きでしたね。味付けをするのは、鶏ガラでダシを取る「ソップ炊き」と「みそ炊き」の2つくらい。だから1週間に1回ずつみそとソップをして、あとは水炊き。そこに鳥肉、豚肉、牛肉って入れるんですよ。ただもう、今のレスラーの若い子はできないと思う。教えるヤツがいないからね。

当時、朝飯はなし。練習が終わった後に昼食をとって、その後、夕方にちゃんこが始まる。先輩たちは夕食を食べ終わったら外に飲みに行くって感じでしたよ。朝飯がなかった理由? そんなの簡単ですよ。食べる前に練習しないと、練習中に戻しちゃうからね。その練習内容は…。

※1970年代に活躍したプロレスラー。息子の平井伸和もSWSや全日本で活躍した。

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