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64年東京五輪出場・サンダー杉山 豊登との「ずんぐりむっくりコンビ」でTWWA世界タッグ王座25回防衛

東スポWEB / 2024年8月25日 10時5分

杉山は見事に初戴冠を果たす。右は豊登、中央はグレート東郷

【昭和~平成スター列伝】今から60年前の1964年東京五輪後には、グレコローマン・ヘビー級代表の杉山恒治(後のサンダー杉山)と、フリースタイル・ヘビー級の斎藤昌典(マサ斎藤)の2人がプロレス転向を果たした。いずれも日本プロレスに入門。斎藤は東京プロレスを経て67年に海外に戦場を求め、杉山は66年に旗揚げした国際プロレスに移籍した。

杉山は178センチ、125キロとアンコ型でユーモラスな印象が強いが、見事なジャーマンを使うなどレスリングの技術に支えられた強さを誇った。米国遠征を経て68年に帰国すると、2月14日大阪では豊登と組んでTWWA世界タッグ王座(王者はアル・コステロ、ドン・ケント)を獲得。初戴冠を果たした。本紙は詳細を1面で報じている。

「1対1の後の決勝ラウンド、外国人組は杉山を狙って袋だたき。しかし豊登がタックル、ボディースラムの大暴れ。コステロをロープに逆さ吊りにしてケントを逆エビ固め。怒り狂ったコステロは得意のモンキーフリップでコーナーのケントに投げ飛ばす。だが杉山は瞬間、コーナーに上がったケントを殴りつけ、転げ落ちたケントにすくい投げ。豊登が飛び込んで体勢の崩れたコステロを怪力ハンマー投げ。ガツンとぶつかったコステロとケントは両者ダウン。杉山はコステロのモンキーフリップの裏をかいてエビ固め。鮮やかなフォールを奪って王座を奪取した」(抜粋)

杉山組はここから実に25回の防衛に成功するが、同王座は69年8月を最後に形骸化し、IWA世界タッグ王座が看板王座となった。

本紙OBで国際担当だったプロレス評論家の門馬忠雄氏は「彼は強度の近眼でね。間違えて敵のコーナーに行って『トヨさん、タッチ!』と叫んで外国人にボコボコにされた時があった。あれは笑ったよ。2人ともずんぐりむっくりだったから、とても日本人的なコンビだった。実力もあるしキャラクターもユニークだったけど、いつも自分で車を運転して個人行動していた。評価の難しい選手だったね。五輪出身だから、新弟子時代は嫉妬した先輩レスラーによく血だるまにされていたよ」と述懐する。

杉山は70年5月にビル・ロビンソンにリングアウト勝ちながら、日本人として初めてIWA世界ヘビー級王者となり、同タッグ王者にもなった。72年には全日本に移籍、その後フリーとなって新日本にも参戦。タレント活動や事業で活躍するも、2002年11月22日に心不全のため亡くなった。五輪出場という金看板と、強烈なインパクトを残した異色の名レスラーであった。 (敬称略)

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