【ザ・グレート・カブキ連載#7】猪木さんは優しい人 でも東京プロレスは「ヤバいな」と…
東スポWEB / 2024年8月28日 16時4分
【ザ・グレート・カブキ 毒霧の真実(7)】1966年1月、日本プロレスは内部の派閥抗争などの末に豊登さんの社長辞任が発表されました。その後、豊登さんを慕っていた数人の選手やスタッフ、関係者が離脱しました。さらに、米国で武者修行中だったアントニオ猪木さんが豊登さんに合流することになり、新団体を設立。同年10月に「東京プロレス」が東京・蔵前国技館で旗揚げ戦を行いました。
当時「高千穂明久」のリングネームで活動していた自分も、オヤジ(芳の里)から「お前はどうする?」って言われたんです。でも「俺はオヤジさんについていきます」って答えて、日プロに残ることにしました。会社の雰囲気を見ていたら、オヤジについていた方がいいかなって思ったんですよ。「下手に動くとヤバいな」っていう予感がしたから。なぜそう考えたのか? 離脱した選手たちは計画性が全然なくて、思いつきで“他団体をやろう”っていう感じでした。「長持ちしないだろうな」って感じてました。猪木さんについている周りの人間がダメだったので。それでもオヤジが「動く」って言ったらついていったかもしれないですけどね。
その予感通り、東京プロレスは67年4月には崩壊します。猪木さんも日プロに復帰することになりました。実はこの時が猪木さんとはほぼ初対面なんです。それまではすれ違いだったので。当時の印象は威張った話し方もしなくて、優しくて、本人と会う前に思っていた印象とはまったく違った。リングじゃ、やたら「ワー!」ってやっていたのに、降りると物腰は柔らかでした。当時はジャイアント馬場さんと「BI砲」を組んで人気でした。いいコンビだったよね。仲も良かった。よく合宿所で2人、話しているのを見ましたよ。
プロレスはうまかったですね。ネチャッとしたレスリングをやって、グラウンドではビターッとくっついてくるし。体が柔らかくてペース配分がうまかった。当時、そういうのは珍しかったと思いますよ。ただ“いい格好”したい人だった。ヘッドシザースとか、しょっぱいのに使いたがったんですよ。猪木さんがやると体が曲がっちゃってね。伸びなきゃいけないのに。それなのにやりたがった(笑い)。
あと実は、猪木さんって受け身がヘタだったんですよ。特に後ろの受け身がなかなか取れなくてね。バックドロップとかを受けても、なぜか体をひねっちゃうわけ。そうすると、腕から落ちてケガするから危ないんですよ。それで猪木さんをリングの真ん中に立たせ、両足を柔道の帯で縛って外からそれをバーンと引いて後ろ受け身の特訓をしていたんです。
そんな時代に、日プロに参戦していたのがカール・ゴッチです。実際のゴッチの様子は…。
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