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【ザ・グレート・カブキ連載#9】米国で殴りかかってきた客をボコボコにしたら訴えられた

東スポWEB / 2024年9月2日 16時9分

高千穂(左)は米国でマサ斎藤と再会(71年1月)

【ザ・グレート・カブキ 毒霧の真実(9)】「高千穂明久」のリングネームで活動していた私が初めて米国遠征に出発したのは1970年9月でした。場所はカリフォルニア州ロサンゼルス。出発前日には、当時付き合っていた女性と結婚しました。

ロスは気候も良くて移動距離も短く、とてもいい環境でした。一番遠いサンディエゴでも片道150マイル(約240キロ)くらいの距離。なので毎日家から車で通えたんです。当時のカリフォルニアは貧乏人が集まる所でね(笑い)。一年中暖かくて、Tシャツ1枚で一年中歩けるんです。だから人種も多彩でした。

そんな中でも、日本人は「ヒール(悪役)」しか選択肢がありませんでした。まだ太平洋戦争が終わったばかりでしたからね。米国でもプロレスの人気はすごかった。観客も入ったよー。メイン会場だったオリンピック・オーデトリアムには毎回6000~7000人は入っていたと思います。ダウンタウンの真ん中にあって、そこで2週間に1回やっていましたね。

ロスで行動をともにしていたのがマサやん(マサ斎藤)でした。2人とも酒を飲むのが好きだったので試合が終わったらバーでよく飲んでいました。すると、そこへ酔ったバカなファンが来て絡んできてね…。すると“ボコーン”って、すぐにマサやんが…。手が早いんだ、また。すぐにボコボコにしちゃうんだもん(笑い)。

それから半年して今度はミシガン州デトロイトに移りました。当時のデトロイトは陰気な雰囲気で反日感情がとても強かった。試合が終わって帰ろうとすると「日本人だから」っていう理由で客が殴りかかってくることがしょっちゅう。そしたら殴り返すしかないじゃないですか。だからボッコボコにしてたんですよ。そしたら今度はお客に訴えられて…。そんなことばっかりでした。

ただ初めてやった「ヒール(悪役)」は面白かったです。お客さんを“ブーブー”って言わせるのがもう楽しくて楽しくて…。性に合っている感じがしたんですよね。客を怒らせると、次の週はさらに客がバーッと入ってくる。それで、あまりにも客が興奮するものだから、何度かプロモーターから「あんまりヒート(※)を出すな」って言われるほどでしたよ(苦笑い)。

だけど、やってるうちにそうなっちゃう。ヒートが怖くて出さないようにするヤツもいるんだけど、米国では、そんなことお構いなしにやるから、どんどんヒートしていくんです。根っからの「ヒール」なんでしょうね…。ただ、米国で活動中に、日本プロレスは大変なことになっていたんです。その波が自分にも押し寄せることになりました。

※観客の怒りをあおるような行為

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