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【ザ・グレート・カブキ連載#10】日本プロレスのお家騒動は正直…米国に戻るから「関係ない」と

東スポWEB / 2024年9月3日 16時4分

スーツ姿で凱旋帰国を報告(72年9月)

【ザ・グレート・カブキ 毒霧の真実(10)】米国では悪役として活動していました。戦後間もない米国で、それ以外の選択肢はありませんでしたが、初めてやった「ヒール(悪役)」は面白かったんですよ。お客さんを“ブーブー”って言わせるのがもう楽しくてね。そんな生活を満喫していたころ、日本プロレスではいわゆる“お家騒動”が起きていました。

1971年にはアントニオ猪木さんがクーデターを画策したとして追放されて、72年になって新日本プロレスを旗揚げします。すると、今度はジャイアント馬場さんも日プロを離脱し、全日本プロレスを発足させることになったんです。

当時米国で武者修行していたとはいえ、さすがにいろいろな話が聞こえてきましたよ。「もう日プロの中はクシャクシャになっていて、誰それが会社の金庫を開けて金を持ち出している」とかいう話まで…。でも、正直言って自分にとっては“対岸の火事”みたいな感覚だったんです。自分が日本にいたころから、そういう話題はちょこちょことあって、それが嫌になって米国に来たところもありましたから。このころは、もう日本に帰るつもりもなかったんですよ。

ところがオヤジ(芳の里)に呼ばれたんですよ。「日プロの最後のツアーがあるから」って。オヤジに言われたら断るわけにいかない。だから「それなら出ます」というので日本に帰ったんです。でも、そのツアーが終わったらすぐ米国に戻るつもりでした。それで帰国して72年9月の「NWAタッグリーグ戦」に坂口征二さんと組んで参戦したんですけど、日プロの内部はグチャグチャ。もうどうにもならない状態でした。派閥みたいなので、みんなが疑心暗鬼というか…。

でも、俺は米国に戻るって決めていたので、あんまり「関係ない」みたいな感覚でしたね。そんな中、迎えたのが73年4月20日の日プロ最終戦です。自分はセミでジ・アラスカンという選手と戦ったけど「これで日本も最後か」と思いながら試合をしていました。ただ、お客に変な試合を見せたらいけないから普段通りバチバチいく試合をしましたよ。

それで試合が終わった途端に「これで日本も最後だ」って思ってね。寂しさというかなんというか…。15歳で日本プロレスに入団したときのことが走馬灯じゃないけど思い起こされましたね。それに大会の最後はなんか殺伐としていましたよ。だれも「お疲れさま」のひと言もなかったし「あ、どうも」「どうも」って言葉を交わすくらいなものでした。

その後、自分はすぐ米国に戻るつもりでいたんですけど、日本にとどまって馬場さんの旗揚げした全日本プロレスに参戦することになります。なぜかというと…。

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