【ザ・グレート・カブキ連載#13】ギャラは数年で日本時代の何十倍に…馬場さんは“固かった”
東スポWEB / 2024年9月9日 16時8分
【ザ・グレート・カブキ 毒霧の真実(13)】日本プロレスの“崩壊後”に全日本で活動していた自分が米国に戻ったのは1978年2月でした。最初に踏んだのはフロリダの土。日本を離れると決め、現地でブッカーをしているデューク・ケオムカさん(※1)に電話を入れたんです。すると、ちょうどマサやん(マサ斎藤)のパートナーを探しているところで一緒に「CWF」という団体に上がることになったんです。当時、マサやんは米国でトップヒールになっていました。
自分は、リングネームを「ミスター・サト」にしています。由来は“芳の里”のオヤジの“サト”だけ借りたんです。短い方が米国人が発音して覚えやすいから。日本でのリングネームの「高千穂(タカチホ)」なんて長すぎちゃってダメですよ。これでマサやんと組んだときに「サイトー&サト」になった。これは良かったですよ。観客動員も一気に上がって、どこに行ってもソールドアウト。休みなしで毎日試合をしていました。
土日なんて昼夜ダブルヘッダーで、自分たちはそのほとんどの大会でメインを務めました。プロモーターのエディ・グラハム(※2)が喜んじゃってね。ファイトマネーにプラスでボーナスまでつけてくれました。
そのままフロリダで1年ほど過ごした後、79年3月にテキサス州アマリロに行きました。ここも良かった。野球場で試合をやると、お客さんが4万~5万人くらい、外野席の端までいっぱいです。すると、遠くのお客さんは肉眼で細かいところなんて見えないんでしょ。そういうときは、コーナーからボンボン飛んで受け身を取ったりしました。プロレスって、会場の大きさでスタイルを変えないといけないんです。大きい会場なら、大きいプロレスしなきゃいけない。会場によってどういう動きをしたら盛り上がるのかはこの頃に学びましたね。
そういえば同年の8月に一度、日本に戻っています。「プロレス夢のオールスター戦」に参戦するためでした。正直「しょっぱいなー」と思いましたね(苦笑い)。普段一緒にやっていない選手が集まるんだから手が合うはずないですよ。馬場さんとも、大した話はしなかったし「帰ってこい」とも言われなかった。
自分も、帰るつもりなんて全くなかったですけどね。ギャラが全然違いましたから。日本時代の何十倍になっていました。馬場さんって、その辺は“固かった”ですから。この試合後、自分はいよいよ本格的に拠点を米国に移すべく行動します。永住権の取得です。
※1 日本名は田中久雄、日系米国人の元レスラー。息子はWWFで活躍したパット・タナカ。
※2 元レスラーで引退後にプロモーターに転身。息子のマイクも元レスラー。
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