1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. 格闘技

越中詩郎 68歳死去の小林邦昭さんを追悼「小林さんの存在がなかったら平成維震軍は生まれていなかった」

東スポWEB / 2024年9月10日 13時2分

1994年10月14日に独立会見を行った平成維震軍(前列左から)小原道由、齋藤彰俊(後列左から)ザ・グレート・カブキ、小林邦昭さん、越中詩郎、木村健悟、後藤達俊

侍戦士・越中詩郎(66)が、9日に68歳で死去したことがわかった〝虎ハンター〟こと小林邦昭さんを追悼した。

新日本プロレス時代、越中が選手会会長、小林さんが副会長を務めていたが、1992年の誠心会館との抗争を機に解任となり、反選手会同盟で共闘。後の平成維震軍結成につながった。

10日に取材に応じた越中は「けさ連絡をいただきました。僕の中でも欠かすことのできない選手でしたね。一緒に頑張ってきましたから。小林さんの存在がなかったら、平成維震軍は生まれてないですから。小林さんが会社を動かして、維震軍をつくるきっかけになりましたから、僕は計り知れない感謝の気持ちを持っています」と神妙に語った。

反選手会同盟が結成されるタイミングで、小林さんは大腸がんを患い欠場。越中が病院を訪れると、小林さんは「すごい手術だったんだ」と腹部の手術痕を見せながらも、気丈に振る舞ってくれたという。そのとき、小林さんからは「こういう状況で出られないけど頑張ってくれ」とユニットを託された。

越中は「口には出さないけど、合い言葉みたいな感じで『小林さんが帰ってくるまでに維震軍が潰れたら申し訳が立たないぞ』と各選手が個々で思っていたと思う。元気になって小林さんには帰ってきてもらいから、みんな『頑張ろうぜ』という気持ちだった」と振り返る。その誓い通り維震軍は旋風を巻き起こし、カムバックした小林さんを迎えた。

越中が最後に小林さんと会ったのは2022年7月、愛知・豊田市内で営まれた元維震軍メンバーで誠心会館館長の青柳政司さん(享年65)の葬儀だった。車で小林さんを名古屋駅まで送る1時間、思い出話に花を咲かせたという。

越中は「反選手会同盟を結成した当初にがんという病気を患っていたので、相当長い間闘ってこられたので、大変だったと思う。人に言えないような苦しみとかつらさとか味わってこられたと思うんですよ。その中でいつも維震軍のことを心配してくれて、ありがたかったなと思います。小林さんは先輩なんですが、一度も先輩づらすることはなかった。いつも『プロレス界はもっとこういうふうに、しなきゃいけないんだ』と僕には熱心に語ってくれました。心よりご冥福をお祈りいたします」と哀悼の意を表した。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください