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小林邦昭さんの〝迷惑行為〟から平成維震軍は誕生していた…事件の目撃者・田山レフェリーが証言

東スポWEB / 2024年9月10日 19時12分

故青柳館長(左)ら誠心会館との抗争でも注目を集めた小林邦昭さん(1992年6月)

新日本プロレスで〝虎ハンター〟の異名を取った名レスラーの小林邦昭さんが、9日に死去していたことが分かった。68歳だった。2008年まで新日本に所属した田山正雄レフェリー(53)は「健康にあれだけ気を使ってた人なんで、本当にビックリしました」と突然の別れを悲しみ、小林さんとの貴重なエピソードを明かした。

小林さんといえば1980年代の初代タイガーマスクとの抗争が有名。人気絶頂だった初代虎の覆面を剥ぐシーンはお茶の間にも衝撃を与えた。

その一方で、90年代には平成維震軍の参謀としても活躍。越中詩郎が率いた維震軍は故青柳政司館長の誠心会館との抗争を発端に、軍団が新日本の本隊を離脱し「反選手会同盟」として産声を上げた。この誠心会館との抗争の火付け役となったのが小林さんだ。

91年12月8日の新日本プロレス後楽園ホール大会で事件は起きた。青柳館長とタッグを組むことになっていた小林さんは、控室で誠心会館の門下生のドアの締め方が気に入らず注意した。だが、門下生は生返事をしただけで反省するそぶりも見せず、怒った小林さんは門下生を殴って13針も縫う大ケガを負わせた。誠心会館はこの報復として8日後の16日の新日本・大阪府立体育会館大会で小林さんを襲撃。全面戦争に発展した。

問題となった後楽園の控室で、小競り合いの現場を目撃していたのが田山レフェリーだ。

「小林さんは人が出入りするドアの目の前でスクワットをしていた。明らかに迷惑なんですよ」と舞台裏を明かし「それが鉄拳制裁につながり…。あれは正直、小林さんが悪かったと思う」

邪魔な小林さんに腹を立てた門下生が、思わずドアを強く締めてしまったことが原因だという。小林さんが場所を選んでトレーニングしていれば、平成維震軍は誕生していなかったのかもしれない。

90年代に田山レフェリーは、巡業ではタクシーの配車係を担当。小林さんはいつも会場に一番乗りしていたそうだ。「みんな、だいたい宿舎を午後4時くらいに出発するのに、小林さんにはいつも午後2時30分くらいに『タクシー呼んでくれ』って言われて大変だった。会場にそんなに早く入って何をするのかと思ったら、特別に何もやっていない。ウワサ話でも集めていたのかな」と〝マット界きっての地獄耳〟としても知られた故人を懐かしんでいた。

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