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【ノア】齋藤彰俊 小林邦昭さんとの〝凄惨マッチ〟を回顧「プロレスラーの怖さを感じましたね…」

東スポWEB / 2024年9月11日 11時8分

多くのファンに衝撃を与えた小林邦昭(下)と斎藤彰俊の一騎打ち(1992年1月30日、東京・大田区体育館)

11月に現役を引退するノアの齋藤彰俊が、9日に死去した〝虎ハンター〟小林邦昭さん(享年68)をしのんだ。

齋藤の格闘技人生の中で、分岐点になったのが1992年1月30日の新日本プロレス大田区大会だ。前年暮れに新日本との抗争が勃発した誠心会館(当時)の齋藤は、小林さんと異種格闘技戦で対戦。全試合終了後の特別枠で行われた壮絶な死闘は、大流血の小林さんが試合続行不可能となり、齋藤がレフェリーストップで勝利した。

「佐山聡さん(初代タイガーマスク)とやっていたのでジュニアのイメージだったんですが、大きかったですね。筋肉質で。手のひらも分厚くて、それで張り手とかもらうとすごい衝撃があった。プロレスラーの怖さを感じましたね。感じたからこそ、自分もゾーンに入ったと思うんですよ」と振り返る。

勝利はしたものの代償は大きかった。「ホテルに帰ると、天井がグルングルンに回っているんですよ。それだけダメージがあった」。目の付近を蹴られた齋藤は、今でも車のバックミラーを見ると視線がずれているのを感じるという。

2人は激しい抗争を経て、同年に意気投合。越中詩郎らと平成維震軍の前身となる反選手会同盟で共闘した。当初は道着で統一していた維震軍だが、いつしかコスチュームを替えることになった。そのとき、小林さんは「パンタロンを一番最初にはいたのは俺だ」と言っていたという。

齋藤は空手時代の道着にはじまり、現在もロングタイツを着用する。「小林さんに何回か『俺が最初だ』と言われたので、『自分もこのスタイルでいかせてもらいます』と先駆者の了承を得ましたからね」と明かした。

齋藤は98年の新日本退団後、しばらくリングから遠ざかっていた。久々にプロレスの会場に足を踏み入れたのが、2000年4年の小林さんの引退興行だ。〝プロレスラー齋藤彰俊〟の誕生に、大きな影響を与えてくれた存在だったからだ。

「プロの世界に足を踏み入れされてくれた方でした。プロってこんなに厳しんだぞ、こういう気持ちで来いよと。(小林さんとの異種格闘技は)プロとはどういうものなのかって感じさせてくれた試合でした」。哀悼の意を表した齋藤は、感謝の気持ちを胸に引退ロードを走り続ける。

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