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【ザ・グレート・カブキ連載#16】竹刀でぶっ叩いたのは私が最初 人気ぶりに「鉄の爪」エリックが…

東スポWEB / 2024年9月12日 16時2分

ドラゴンシアイマッチでダスティ・ローデス(左)と激突(82年2月)

【ザ・グレート・カブキ 毒霧の真実(16)】1981年1月10日、ザ・グレート・カブキはザ・スポイラーを相手に“デビュー”すると、瞬く間に人気を獲得しました。一番に食いついたのは子供たちでした。入場のコスチュームを侍や忍者風にしたり、いろんなことをやったら喜んだんですよ。もう、そこしか見ていない。対戦相手じゃなくて「今日はどういう格好で出てくるんだろう」っていう期待感を持ってくれました。

今まで、そういうヤツがいなかったんですよ。ヌンチャクを振り回したり、日本刀を持ってリングに上がったり…。それと、このころに考案したのが「ドラゴンシアイマッチ」というデスマッチです。当時、米国ではいろんなデスマッチがあって大人気だったんです。手と手を鎖でつなぐチェーンデスマッチとか。それで自分も「日本式のデスマッチをつくろう」って考えて。それで編み出したのが「ドラゴンシアイマッチ」でした。

どんなものか? 竹刀を一本リングの真ん中に置いて試合を開始。選手はコーナーから走っていって、先に取った方が武器に使えるってルールです。米国人は竹刀なんてほとんど見たことがなかったし、意外に音がすごく出るので、みんな興奮していましたよ。当時はまだ誰も竹刀を凶器として使っていなかった。持ってリングに上がるのはいたけど、相手をぶっ叩いたのは自分が最初だったんじゃないかな。

これをやるとお客が入って、どこもソールドアウト。だから誰かと抗争が始まると、最後は「ドラゴンシアイマッチ」で決着っていう流れができたんです。そしたらプロモーターで「鉄の爪」と呼ばれていたフリッツ・フォン・エリックが喜んでね。毎週ギャラにプラスでボーナスをくれたんです。週に2000~3000ドルはもらえた。当時はまだ1ドルが300円近かったから。かなり稼げましたよ。

そういえばこのころに、控室で若いレスラーたちが「あんな、顔にペイントしてハロウィーンじゃあるまいし」ってバカにしてたんですよ。だから「お前ら先週いくら稼いだんだ?」って言ったら「いくらだ」って言うから。それで「じゃあ俺のを見せてやるよ」って封筒をポンと投げて見せると「オー、シット!」ってなって、それからは私に対し「イエッサー」と言うように変わったんです(笑い)。

カブキは全米で注目されて、ほかの地域からもオファーが来て引く手あまたの状況でした。大体、ダラスと遠征で半々くらいでしたね。遠い所はセスナ機のチャーターフライトが用意されましたよ。そうじゃないと間に合わないから。だからね、日本に帰る気なんてどんどんなくなってました(笑い)。全米を飛び回っていたし、いろんな選手と試合をする機会が増えていくんです。

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