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【中日】星野監督〝グラウンドに出たら戦争だ!〟 恐怖の会話禁止令に…仁村編成統括「兄にもあいさつしなかった」

東スポWEB / 2024年9月14日 6時3分

仁村 一切ダメです。当時、巨人には兄(仁村薫)がいたんですけど、試合前には全くしゃべらなかった。あいさつもしないです。

熊崎 家族でもダメなんですか!?

仁村 ダメです。話すと罰金だから。例えばヒットや四球で一塁に出るじゃないですか。相手チームの一塁手が話しかけてきても、こっちはしゃべれない。監督に分からないように中日ベンチに背を向けて「頼むから話しかけないでくれ」って言ってました。「グラウンドに出たら戦争だ、真剣勝負だ」ということを植え付けるためにチームではそうなってましたね。

熊崎 今だと他球団の選手とも仲良くして、お互いに技術を交換して高め合っているという印象がありますけど、そのころは違ったんですね。

仁村 乱闘も多かったからね。ピリピリした緊張感というかね。当時の中日の4番は落合博満さん。落合さんの打席の時に内角高めの顔面付近にボールが来ようものなら、ベンチの雰囲気が一気に変わった。そうなった瞬間、もう選手はみんな臨戦態勢。全員がベンチで前傾姿勢になって「次も同じようなボールを投げてきたら行くぞ!」と。

熊崎 最近はプロ野球の試合で乱闘ってあまり見ませんけど、お話を聞いていると落合選手を守ろうという仲間意識がすごかったんですね。

仁村 うちの4番に何してくれるんだっていうのはあったね。4番がぶつけられてケガしたら戦力が落ちてしまう。みんなで落合さんを守ろうという気持ちは強かったですね。乱闘になると、星野監督は真っ先に飛び出していったしね。一番ビックリしたのは巨人戦であの王さんに食ってかかっていったことですよ。(※)

熊崎 王さんにですか!?

仁村 あの世界の王さんですよ。王さんもビックリしたと思うよ。でもあの時、この監督はすごいなと思ったんですよ。勝負事になったら、相手が誰でも遠慮せずに向かっていく。みんなにそういう教育はしてましたよね。

熊崎 逆にそこまでやることが当時のドラゴンズの強さにつながっていた。

仁村 そうなんです。やられたらやり返さなきゃいけない。勝負事なんでね。そのへんの負けん気をうまく引き出していた。闘争心を植え付けられましたね。そして選手としては、星野監督に守られてる感じがありました。うちの選手にこんなことしたら絶対に許さんぞという。自分たちのことを大事に思ってくれてるのは感じましたね。

※1987年6月11日に熊本で行われた巨人―中日戦で7回に中日・宮下がクロマティーの背中に死球をぶつけると、激高したクロマティーは宮下の顔面に右ストレートを叩き込み、両軍入り乱れての大乱闘に発展。星野監督は拳を突き上げて巨人・王監督に「グーはダメでしょう!」と迫った。

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