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棚橋弘至が小林邦昭さんの〝功績〟語る A猪木さんパネル撤去事件では「計画犯」と「実行犯」だった

東スポWEB / 2024年9月20日 5時4分

小林さんの告別式に参列した棚橋弘至

「虎ハンター」の異名を取った名レスラーで9日に死去した小林邦昭さん(享年68)の葬儀・告別式が19日に都内で営まれ、新日本プロレスの棚橋弘至(47)が故人の大きすぎる〝功績〟に感謝の言葉を贈った。

小林さんは初代タイガーマスクのライバルとして一世を風靡し、2000年4月の引退後は新日本プロレス道場の管理人として後進の育成に励んだ。新日本は現在北海道巡業中のため多くの選手が葬儀に参列できなかったが、棚橋は早朝の便で緊急帰京。「選手全員は来れませんけど、選手みんな同じ気持ちなので。何とか来れて良かったです」と私服姿で駆け付け小林さんを見送った。

小林さんとの思い出で最も印象に残っているのは、故アントニオ猪木さんのパネル撤去事件だ。団体創始者との関係が悪化していた07年、道場に飾られていた猪木さんのパネルが外された。「一般的にパネルを外したのは僕ということになってますが、実際は計画犯が棚橋で実行犯が小林さんなんです。当時は猪木さんが新日本を出られてから結構たってて、IGFも旗揚げされて活動されてたので。『いつまでも飾られてるのも本意じゃないですよね』『もう外しませんか』みたいな話をしたんですよ。そうしたら何日か後に『外しといたよ』と」

新日本が旗揚げされた1972年入門の小林さんは、黄金時代のスターの一人だ。長年飾られてきた猪木さんのパネルを外す意味の重さを誰よりも理解していたが、日々道場で汗を流す選手たちの思いをいつも尊重してくれた。棚橋は「ゴールデンタイムで活躍されて、新日本とのつながりも深いのに、サバサバ動いてくれたというか。『新しく踏み出すんだぞ』と、若い選手の意見を尊重してくれたんだと感じました。小林さんが一番過去の新日本にとらわれてなかったのかもしれないですね」と回想。「いいものはいいって、年齢キャリア関係なくほめてくれる。本当によき理解者で、それは僕にとってだけでなくみんなにとってそうだったと思いますし。管理人ですけど、寮母のような温かみのある方でしたね」と故人をしのんだ。

19年10月には台風の影響で多摩川が氾濫し、新日本道場が浸水被害にあった。改修工事後に他の廃棄物とともに猪木さんのパネルも手違いで一緒に処分されてしまったが、これを清掃局まで行って持ち帰ってきたのも棚橋だった。そして猪木さんが亡くなった現在は、再び道場にパネルが飾られている。

万事が波瀾万丈の新日本の歴史を、小林さんは常に温かい目で見守ってくれたと棚橋は語る。「本当に頭がやわらかい方でしたね。だからこそ新日本プロレスは新しいものが生まれ続けた。小林さんがいたからかもしれないですね。小林さんがつくってくれた空気感があったからこそ、何も恐れずに挑戦できたというのがあったんでしょうね」とたたえた。

棚橋は葬儀後にそのまま北海道に戻り、20日帯広大会に出場する。「小林さんが亡くなられたのはとても悲しいですけど、もう一回選手一丸となって、小林さんのエネルギーをもらって明日からまた試合頑張っていきます」。小林さんはこれからも、天国から新日本プロレスを見守ってくれるはずだ。

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