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【ザ・グレート・カブキ連載#26】ストロングスタイルは「言ってしまえば変」WARから新日へ

東スポWEB / 2024年10月3日 16時9分

WAR旗揚げ戦でカブキは天龍と激突(92年7月)

【ザ・グレート・カブキ 毒霧の真実(26)】1992年6月19日の長崎大会を最後に、天龍源一郎をエースとしてメガネスーパーによって設立された新団体「SWS」は、その活動の幕を下ろしました。約2年で崩壊となりましたが、約1か月後の7月14日、自分は天龍が創立した新たな団体「WAR」の旗揚げに参戦しました。

気分はまさに心機一転でした。今度は仕事のできる選手たちと一緒でしたから。また天龍に頼まれて、マッチメーカーもやることになったけど、マッチメークっていうほどのことでもなかったんですよ。参加したレスラーみんな、気心が知れていましたから。SWS時代の苦労はありませんでしたね。そして旗揚げから2か月ほどして、今度は新日本プロレスとの対抗戦が始まりました。

これはもともと新日本サイドから話を持ちかけられたものです。その流れで自分はスーパー・ストロング・マシンとトレードのような形で新日本と契約を交わすことになりました。新日本はやりやすかったですよ。なんといっても、みんな日本プロレスから出てきた選手たちが多くいましたから。しかも団体を仕切っていたのはアントニオ猪木さんと、親交も深かった、こてっちゃん(山本小鉄)だったからね。

こてっちゃんは本当に久しぶりだった。日プロで同じ釜の飯を食った仲だからなつかしかったですよ。それまでも、たまに地方巡業なんかで、たまたま近くの旅館に泊まっていたりしたら2人で飲みに行ったりはしていたけど、それも何年かに1回あるかないかくらいのものでしたから。不思議な縁ですね。

自分も何十年もレスラーをやっていたから、いわゆる「ストロングスタイル」にも対応できました。ストロングスタイルは、やっぱり異色なんですよね。言ってしまえば「変」。米国にも、ああいうスタイルはなかったんで。だから「ああ、こういうのも面白いな。今までなかったな」って。攻め方とかで、やたら強く見せようとするんだけど、一方で相手にかまされたら何もできないところがあったりしてね。

だからこそ光ったのが「反選手会同盟」でした。リーダーの越中詩郎もそうだけど、全日本プロレス出身の選手はしっかりと、受け身が取れるからストロングスタイルと対峙すると“映えた”んですよ。自分も新日本への参戦とともに反選手会同盟に加入することになります。反選手会は良かったですよ。越中、小林邦昭、木村健悟…。みんな仕事ができたし、気心の知れたヤツばっかりだったから。当時知らなかったのは、青柳政司と(齋藤)彰俊くらいでしたね。

反選手会同盟は勢いを増して、その後「平成維震軍」と名を変えて、新日本のマットを席巻することになります。

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