作曲家・浜圭介氏のトガっていた歌手時代「生番組をボイコットしてクビ」 森田健作に明かす
東スポWEB / 2024年10月3日 19時5分
作曲家の浜圭介氏(78)が俳優の森田健作がホストを務めるBS「森田健作アワー 人生ケンサク窓」(10月12、26日午前9時)にゲスト出演することになった。
今年は歌手としてデビューして60周年、さらに来年は作曲活動60周年となる浜氏。「歌手を目指して上京してきたけど、まさか作曲家になるとは思わなかった」と振り返りながら、森田から音楽について聞かれると「努力なくして運は育たないと思う」と持論を語った。
浜氏は、旧満州(現中国北東部)の出身。中学3年の時に「歌い手の道で生きたい」と思い、日本テレビの歌謡コンテスト番組に出場したところ見事に1位に輝いたことから札幌市の高校を中退して上京してきた。
東京五輪の開かれた1964年に牧宏次として「波止場のロック」で念願のデビューをしたが、まったく売れなかったという。そこで、独学で作曲の勉強を開始。そんな中、再び、歌手の話が舞い込み、今度は自ら作詞・作曲した「これが哀さ」と言う曲を大木賢の名前で出したところ、今度は少し売れたという。
「それこそ週刊誌の取材が来たり、グラビアまでやるようになり、気持ち的に有頂天なってしまったことから契約のことで事務所とトラブルになって。事務所には反発して生番組をボイコットしたのですが、それが原因でクビになっちゃったんです」
その後、浜圭介として作曲活動を始めたが、浜真二として「女の道」で3度目の歌手デビュー(1970年)した。そんな中、運命を変えたのが奥村チヨとの出会いだった。浜氏は「曲の依頼が来て、まず(千家和也氏の)詞を見た瞬間、鳥肌がたちましたね。『これは売れる』って直感したんです」。
そこで生まれた曲が、作曲家として浜氏の代名詞にもなった「終着駅」だった。同曲は爆発的な大ヒットとなり、それがキッカケとなって1974年に奥村と結婚をした。
浜氏は「舟唄」「雨の慕情」「哀しみ本線日本海」「そして、神戸」「石狩挽歌」など、多数のヒット曲を送り出してきた。森田にも1974年に「銀河の約束」を提供している。浜氏は「もう3000曲以上は作ってきたと思うけど、『石狩挽歌』はメロディーが浮かばなくて1か月かかった。最終的には『ソーラン節』の続きを書くような気持ちで作った。八代亜紀さんの『舟唄』などは、今でも自分が作ったとは思えないですね。とは言っても、僕にとって音楽は生きるための肥やしかもしれません」などと語った。
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