【ザ・グレート・カブキ連載#30】最初で最後の親子タッグ結成‼ムタに「噴きたい時に噴いて」
東スポWEB / 2024年10月10日 16時5分
【ザ・グレート・カブキ 毒霧の真実(30)】日本プロレスに入門し、1964年にこてっちゃん(山本小鉄)を相手に正式にデビューしてから34年がたった98年に自分は引退することを決断しました。
理由は年齢です。この年の9月8日に誕生日を迎えると50歳になることで「そんな長くやってもしょうがないな、ほかの商売を考えよう」と思ったんです。実はプロレスラーになって10年もしたころから「50までに、この商売は辞めないとな」って考えていたんですよ。ダメージの蓄積もありますしね。自分の場合はデビューも早く15歳からやっていましたからね。大きな故障はなかったけど、だからこそ大ケガをする前に「辞めたい」という思いはありました。
引退試合は誕生日前日の9月7日に後楽園ホールで実施することになりました。IWAジャパンではスケジュール管理を任されていたんですけど、そこで日程を組んでいるときに、この日の後楽園ホールが会場として押さえられたんです。それで「誕生日の1日前だからここで引退試合をやろう」って決めて。社長の浅野金六さんに話を持っていったんです。いきなり「引退」と聞かされた金六さんはビックリしていました(笑い)。
現役を退くことを6月に発表し、そこから引退ロードの始まりです。8月には新日本プロレスの大阪ドーム大会で“息子”のグレート・ムタと最初で最後のタッグを組みました。いい試合で、お客さんも沸いてくれました。ムタは変わらず、好きなことをやっていたけど。毒霧の“共演”ですか? あれは事前にムタに「噴きたいときに噴いて。それに俺が合わせるから」って言ってあったんですよ。
中学生時代を過ごした愛知・知立で同級生が協力して引退興行を打ってくれたのも、いい思い出です。このときもだけど、引退ロードでは特にテリー・ファンクと多くタッグを組むことができました。テリーとは昔から一緒に行動することが多かったから、最後にタッグを組めて、うれしかったですね。テリーとの思い出? 彼は日本の屋台でビールを飲むのが大好きだったんです。実は、屋台でお酒を飲むようになったのはもともと、子供たちのためでした。
試合後、子供たちがテリーにサインしてもらうために色紙や手帳を持ってホテルで待ち構えていたんです。でも自分たちも、のどが渇いているから「後でね」と言って食事に出るじゃないですか。すると、後ろからゾロゾロついてくる。だからお店に入らないで屋台で飲むようになったんです。お店だと子供は入れないけど、屋台ならサインしながら食事も飲むこともできるでしょ。
テリーはドリーと違ってトンパチだけど、そういう優しいところがあるヤツなんですよ。
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