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【ザ・グレート・カブキ連載#32】オファーが続々…復帰後は以前と違って気持ちが楽でした

東スポWEB / 2024年10月16日 16時6分

“ニセムタ”の負傷欠場を受けて電撃復帰。右は天山広吉(02年10月)

【ザ・グレート・カブキ 毒霧の真実(32)】2002年、プロレスラーを引退し、東京・飯田橋で居酒屋を営んでいた自分に新日本プロレスからオファーがあり、星野勘太郎さん率いる「魔界倶楽部」のグレート・ムタ(ニセムタ)とジョーニー・ローラーのマネジャーを任されました。

立場はあくまでもマネジャー。すでに50歳を超えていましたし、試合をするつもりは一切、なかったんです。ところが、10月27日の神戸ワールド記念ホール大会でローラーとともに蝶野正洋、天山広吉組が持つIWGPタッグ王座に挑戦する予定だったニセムタが、前夜の試合で足を負傷してしまったんです。そこで「代役」として声がかかったのが自分でした。

もちろん、最初は「ムリだから」って断りましたよ。レフェリーだったタイガー服部からも必死に頼まれたけど「俺は4年もやってないんだからできねえよ」ってね。でも、その後に星野さんが自分のところに来て「頼むよ、やってくれよ。俺の興行なんだ」ってお願いされたんです。

神戸は星野さんの地元で、毎年ビッグマッチをやっていました。日本プロレス時代からの先輩で、いろいろ教わっていた星野さんにそこまで言われたら断れず、仕方なしにリングに上がることにしました。ただ、上がってしまえば楽しかったですよ。迷いは全然ありません。責任感がいらないですから(笑い)。それに、この1試合だけのつもりでしたからね。

だけど、1回リングに上がったら、また「頼むよー」ってレスラーとしてのオファーがどんどん増えていったんです。まあ、せっかく話が来たのなら応えなきゃしようがない。うれしい気持ちもあったし「これは大変だ」って思うこともありましたね。復帰後は以前とは気持ちが全く違いました。楽でした。責任が何もないので、考えないでその場、その場で動いて、相手に任せておけばよかったですから。

ただオファーがあるかといって、ずっとリングに上がり続けているわけにもいかない。それで17年に今度こそ、正式に引退することを決断しました。1回目の引退から19年たって70歳が目前でしたからね。「さすがにそろそろ」って。そんな話をしていたら、以前から知り合いだった「ザ・リーヴ」の佐藤和弘社長が「じゃあ最後の試合をノアでやりましょう」と言ってくれて。プロレスリング・ノア12月22日の東京・後楽園ホール大会で「KABUKI THE FINAL」として正式に最後の試合をしました。

さすがに「これでホントの最後だな」「これで終われる。これでもうやらなくていいや…」って思ってね。リングの真ん中で、ヒザをついて四方にあいさつしたら、なぜだか、気持ちがスーッと楽になったのはよく覚えています。

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