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小林邦昭から馳浩へ「主役交代」の瞬間 道場では後輩のために〝厄介者〟を追い出した

東スポWEB / 2024年10月20日 10時10分

馳(右)は小林の手をがっちり握った(1987年12月、両国国技館)

【プロレス蔵出し写真館】今から36年前の1987年(昭和62年)12月27日、両国国技館でIWGPジュニアヘビー級選手権が行われた。カナダから凱旋帰国した馳浩が、国内デビュー戦で小林邦昭に挑戦する一戦だ。

馳は前年の86年2月、海外武者修行中にプエルトリコでプロレスデビューを果たした。その後、新倉史祐とともにカナダ・カルガリーへ渡り、マスクをかぶってベトコン・エクスプレス1号&2号で活躍。

この日のタイトル戦は、次代のスターとして期待された大一番だった。ゴングが鳴ると、馳は豪快なドロップキックを見舞い小林を吹っ飛ばす。脊椎分離症で腰を痛めている小林に容赦のないワンハンドバックブリーカー。たまらず場外にエスケープする小林。

小林はミドルキック、回し蹴りで反撃するも、キャメルクラッチ、サソリ固めを決められ苦悶の表情だ。振り子式背骨折りから、初公開された馳のオリジナル技ノーザンライトスープレックスでピンフォールされ王座から転落した。

リング中央で雄たけびを上げる馳。小林はマイクで「藤波(辰巳=現・辰爾)、タイガーマスク、ジュニアにはいつもその時代の主役がいた。そして今、主役だった俺が負けた。これで、ジュニアの一つの時代が終わったんだな」と言うと、馳は両手で小林の手をガッチリ握った。感謝を表すかのように…(写真)。

もっとも、この日は「たけしプロレス軍団」の総帥・ビートたけしがリングに登場。アントニオ猪木VSビッグバン・ベイダー戦をゴリ押しして観客の不満が爆発。猪木が秒殺されて暴動が発生した。それにより馳のベルト奪取がかすんでしまったのは不運だったが…。

ところで、〝虎ハンター〟と呼ばれた小林が9月9日に亡くなってから来週、四十九日を迎える。

小林と懇意だった新倉は、9月18日の通夜で読まれた馳の弔電にウルッときたと明かす。

「馳は『小さい娘さんを育てながら、道場の管理人として若い選手の兄貴的な存在になっていた。練習から身の回りの世話まで、自分の子供のように若手を育て上げた。そんなことができるのは小林先輩しかいない』。そうたたえていた」

また、小林の思い出を振り返った。「オレが(新日本の)寮長だったとき栗栖(正伸)さんが〝道場のゴキブリ〟でした(笑い)。栗栖さんは家が大阪にあるので、合同練習があるときは合宿所に来てました。練習が終わると、若手の飲み物、バナナとか勝手に食っちゃうんですよ。若手の名前が書かれているにもかかわらず。若い奴は文句言えないから困ってて。それを見ていた小林さんは『新倉、オレの等々力の家がひと部屋空いてるから栗栖さんに住んでもらうよ』って言ってくれたんです」(新倉)

小林と栗栖は72年入門の同期。小林は、栗栖がジャパンプロレスへ移籍するまで1年以上、自宅に居候させていたという。

さて、10月20日には東京・渋谷の道玄坂ピアビル1階で〝小林邦昭 不屈の魂を偲ぶ〟と題して前田日明のトークショーが13時30分から開催される。新倉はゲスト出演する。

小林の遺骨は今月末、故郷の長野・小諸の墓に納骨されるという(敬称略)。

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