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【マキ上田連載#2】「東洋の魔女」に憧れて中学ではバレーボール部に!アタッカーをしてました

東スポWEB / 2024年10月29日 16時5分

写真を見て現役時代をなつかしんだ

【マキ上田 ビューティ・ペアかけめぐる3年間の軌跡(2)】上田家の長女として大切に育てられました。父が大阪に単身赴任していたので、鳥取にある祖父母の家で母と妹たちと暮らしていました。1965年4月に小学生になったころ、外で遊ぶのが大好きで、家の裏にあった小さい川でよく釣りをしていましたね。

祖母が経営する店で釣りのセットを借り、その辺で穴を掘って捕まえたミミズを針に刺して。毎日のように川へ行ってました。ある日、釣りざおを玄関に立てかけていたら何も知らない妹が釣れちゃったことがあって。思わず「何してんだよ。これから釣りに行くのに」って突っ込んだ記憶があります。釣りに行く前に大物が釣れちゃった(笑い)。今思うとかわいそうなことしたな。

小学生のころには好きな人もいましたよ。近所に住んでいた幼なじみの「しんちゃん」っていう目のクリッとしたかわいい男の子。まあ、小学生なので、特に何をすることもなく、学校で遊んだり、一緒に下校してアイスやお菓子を食べたりしてましたね。

中学生になると、母の勧めで町内会の華道や茶道に通ってました。母は厳しい人でさまざまな場面のマナーを教えてくれたり、料理のときは「お姉ちゃんなんだから手伝いなさい」って怒られてばかりでした。唯一褒められてたのは脱いだ服をたたむこと。遊びに行くときも体育の授業のときも着替えた服をたたんでいたそうで整理整頓だけは褒められてた。いつの間にか癖になっていたようで入門してからも寮や一人暮らしの家はキレイにしていました。

中学ではバレーボール部に入部しました。茶道と華道はひと通りの作法を覚えたら、もう飽きてしまって長続きはしなかったんです。当時は64年の東京オリンピックの影響で、日本女子バレーボールチーム「東洋の魔女」が人気だったんです。それに憧れてバレーボールを始めました。ちなみに上田家は体が縦長の人が多い家系でした。祖父は180センチあって祖母は小さかったけど、母が165センチ、父が170センチぐらい。だから私も中学生の時には、身長が168センチと大きかったのでアタッカーをしてました。

74年に中学を卒業すると、鳥取県立鳥取農業高等学校(現鳥取湖陵高等学校)に進学します。祖父母の家には田んぼもあって、小さいころからよく作業を手伝っていたことから農業科に進みました。クラスの副委員長もしていましたね。別にリーダーシップがあったわけではなくて、たぶん誰もやる人がいなかったんじゃないですかね…。

でも、せっかく入った高校は1年もしないうちに辞めることになり、全日本女子プロレスに入門することになります。まさか自分がプロレスラーになるなんてまったく思ってなかったですね。

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