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来日2年目に3割7厘22本塁打22盗塁…〝助っ人〟タフィー・ローズが感じていた葛藤【平成球界裏面史】

東スポWEB / 2024年11月3日 9時2分

(左手前から)ルイス・アキーノ、クリス・ドネルス、タフィ・ローズ、後方左は佐々木恭介監督(1996年1月)

【平成球界裏面史 近鉄編77】阪神で史上最強助っ人と表現すれば、ランディ・バースの名前が満票で挙がってくることは間違いない。ただ、近鉄でも真っ先に名前が出てくる選手が存在する。その名は平成8年(1996年)から猛牛打線で活躍したタフィー・ローズだ。

96年2月のサイパンキャンプでは、同年に助っ人として加入していたクリス・ドネルスの方が評価は高かった。ドネルスは日本人からのイメージで分かりやすい本塁打を期待できるたたずまい。ローズはどちらかといえば細身でスピード勝負の印象に見られる傾向が強かった。

実際、ローズは米球界ではスピードがあって、長打も期待できるというタイプの選手だった。しかし、本人は自身の長打力を生かし、出場機会を増やしたいがために日本球界を選択した。とはいえ、すぐに思い通りの助っ人像にたどり着けたわけではない。

来日1年目は結果的に全130試合にフル出場。打率2割9分3厘、27本塁打、97打点でチーム3冠の成績を残した。これはこれで来日1年目とすれば堂々の成績。ただ、ローズらしさが出たのは11盗塁という数字だった。大谷翔平を想像させるスピードとパワーを兼ね備えた選手にも映るが、本人は違和感を覚えていた。

「日本に来て、助っ人に求められるものは何かということが明確に理解できた。長打、ホームランを期待されている。だから、プレースタイルをそっちに寄せていかないといけないと強く思いました」

来日前年の平成7年(95年)までは近鉄にラルフ・ブライアントという怪物がいた。89年のリーグ優勝の際には4打席連続本塁打を含む49発。東京ドームのスピーカーに直撃させた認定ホームランなど武勇伝には事欠かない助っ人だった。フルスイングで、三振かホームランか。そんなイメージのある強烈助っ人の後釜として、ローズは相当なプレッシャーを感じていたはずだ。

ローズは来日2年目の平成9年(97年)には135試合にフル出場し打率3割7厘、37二塁打、22本塁打、102打点、22盗塁という成績を残した。この成績も非常にレベルの高いものではあるが、本人には葛藤があった。

平成10年(98年)は134試合に出場して25二塁打、22本塁打、15盗塁とした一方で打率2割5分7厘、70打点と数字を下げた。日本人が期待する助っ人像に近づくため、長打を意識した部分は少なからず影響した。

このシーズンでローズは30歳。「年齢を重ねるごとに体を大きくして長打を打てるよう意識した時期」と話していたように、多くの野球ファンが知るローズは翌年の平成11年(99年)から開花することになる。

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