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アントニオ猪木 ストロング小林戦の2日後に弾丸渡米し王座防衛!

東スポWEB / 2024年11月3日 10時6分

ラッドと辛うじてドローに終わった猪木

【昭和~平成スター列伝】海外での王座防衛は難しい。これまでに多くの日本人レスラーが米国でのアンフェアな試合で泣かされてきた。その中でも無類の強さを発揮したのが“燃える闘魂”アントニオ猪木だ。

1978年の欧州遠征では23日で20戦というハードスケジュールに苦闘を強いられたが、74年3月19日、蔵前国技館で行われた“昭和の巌流島”と呼ばれたストロング小林との歴史的一戦に劇勝すると、何と2日後には米オハイオ州クリーブランドへ渡り、206センチ148キロの大男“毒グモ”アーニー・ラッドと防衛戦を敢行している。今では考えられない常人離れしたスケジュールだった。

小林戦の翌日に離日し、実に13時間半のフライトを終えて現地に着いた猪木はさすがに疲れた様子だったが「2メートルの巨漢といってもアンドレ戦を経験しているから、何の不安も感じていない。目いっぱい戦って、ここのファンを驚かせてやる」と意気込んだ。本紙はこの一戦の詳細を報じている。

『1本目はラフファイターのラッドがストロングスタイルでのレスリングで猪木の足を狙った。レッグロック、ダブルレッグロックで攻勢。猪木もロープに飛ばして空手からドロップキック。2発目はラッドがショルダー弾ブロック。鈍い音を立ててマットに転がった2人。レフェリーのカウントが進みダブルKOのカウンテッドアウト。ルールにより0―0のノーコンテストだ。2本目はラッドが攻める。G・馬場流のカウンター15文キックをアゴに叩き込む。崩れ落ちる猪木をラッドはそのままフォール。ラッドの本拠地とあって大歓声。ラッドは「1―1の後に俺が勝ったから俺がチャンピオンだ」と控室へ。しかしレフェリーの説明を聞いて3本目のゴングが鳴った。猪木は空手、ショルダースルー、タックルの猛ラッシュ。ラッドはなすすべもない。ボディースラムで叩きつけた猪木は、ポスト最上段に上って3メートルのニードロップ地獄。ラッドのノド元を直撃し、ルールに命拾いされる格好で辛くも1―1の引き分けで2度目の防衛に成功した。猪木は「疲れが残っているんですかね…。コンディションがよくなかった。小林戦後ということもあっていい試合をしようと意識をしすぎてつけ込まれてしまった」と語った』(抜粋)

結局、ラッドは同年末に来日し、11月1日札幌では2―1(最後は弓矢固め)で雪辱。その後はWWWF(現WWE)で活躍して、95年にはWWE殿堂入りも果たした。

しかし引き分けとはいえ、小林戦の2日後に敵地で防衛するのだから、やはり猪木の強さとスタミナは尋常ではなかった。やはり不世出の名レスラーである。 (敬称略)

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