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【マキ上田連載#5】デビュー戦は白星スタート 新人時代は上下関係厳しくなくピリピリしてなかったんです

東スポWEB / 2024年11月5日 16時14分

全女トップに君臨していた赤城マリ子(74年3月)

【マキ上田 ビューティ・ペアかけめぐる3年間の軌跡(5)】 1975年1月に全日本女子プロレスに入門して約2か月後の3月19日に大田区総合体育館でデビューしました。中学時代からバレーボールをやっていた経験と体の柔らかさで他の練習生より覚えがよかったので、同じ時期に入った子の中で1番最初にデビューしました。そりゃあ、デビューを知らされた時はうれしかったですよ!

相手は私より1年くらい先に入門した先輩。身長はそこそこだけど、どっちかっていうと横に大きい選手だったから、そんなに機敏に動き回るタイプじゃなかったと思う。だから体力的に言ったら自分の方が上って思ってた。試合が始まる前は緊張で頭が真っ白だったけど、始まっちゃったら緊張どころじゃない。とにかく勝たなきゃって必死に戦って最後は勝ったんですよ。

私のプロレスラー人生は白星スタートとなりました。でもデビュー戦で勝ったからって、その後も勝ちが続くわけじゃなかったし、バンバン試合が組まれて毎日へとへとになってましたね。新人の時から先輩を相手に30分ドローとかの試合をして鍛えられました。

当時メインを務めていたのはWWWA世界シングル王座を持っていたジャンボ宮本、赤城マリ子、マッハ文朱ですかね。ジャンボは全女を運営する松永兄弟のいとこだったから、そこまで練習に出てこなかったし、後輩の面倒も「見なくていい」って言われてたんじゃないかな…特に練習を見てもらった記憶はないですね(笑い)。

でも当時はまだ団体自体人気があったわけじゃなかったから、いびり散らかしている人もいませんでした。それに付け人制度もなく、先輩も後輩も自分のことは自分でやるスタイルで上下関係は厳しくなく、全くピリピリしてなかったんです。だから私も後輩に命令することもないから「マキちゃん」って慕われていたと思いますよ。ジャガー(横田)の世代からオーディションが始まったから、それ以降は先輩が後輩を厳しく指導する形になった印象かな。先輩面して偉そうにしているジャガーを見て何やってんだろうって(笑い)。

まあでも私の時代にも意地悪な先輩は何人かいましたね。物を盗むとか無視とかはしないけど、練習でちょっときつく絞ってくるとかそういうかわいがりみたいな。だから私も「自分が強くなってコイツをぶん殴ってから辞めてやろう」って思うようになって。体格的には恵まれているからあとは技を磨くだけだと思って、よく練習するようになりましたね。今思うとそいつのおかげで強くなれたので、きっかけをくれて感謝です。

そういうところが会社から認められてビューティ・ペアを組むようになったのかなって思っています。

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