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【マキ上田連載#7】ジャッキー佐藤の由来は好きなボクサーの名前と車を持ち上げる「ジャッキ」

東スポWEB / 2024年11月7日 16時4分

マキ(左)とジャッキーはビューティ・ペアを結成

【マキ上田 ビューティ・ペアかけめぐる3年間の軌跡(7)】デビューから約1年後の1976年2月24日にジャッキー(佐藤)と「ビューティ・ペア」を初めて組むことになりました。75年3月にデビューした時にWWWAシングル王座を持って全日本女子プロレスのトップを走っていたマッハ(文朱)が突然引退することになって。新たなスターをつくらないといけないことになり、私たちが急に組むことになったんです。

まず「ビューティ・ペアになる」って聞いた時は何か変な名前だし、ビューティって何のひねりもなくて、ちょっと恥ずかしいなと思っていました。そのころに「マキ上田」ってリングネームをつけられたような気がする。まあ、名前と名字をひっくり返しただけだけどね。それ以上思いつかなかったんじゃない?

ジャッキーの場合、下の名前が尚子でナオ佐藤じゃ地味だから、もうちょっとたくましい名前をつけることになって。米国にジャッキー・ウィルソン(元NBAフェザー級王者)っていうボクサーがいたの。本人の好きなボクサーだったから、その人の名前をもらってつけたはず。あと、車を持ち上げるジャッキってあるじゃない? 大きい選手でも持ち上げられるみたいな意味でつけられたんじゃないかな。

タッグを組むことになったジャッキーは、私が全日本女子プロレスに入門して半年後くらいに入ってきたんじゃないかと記憶してます。え、3月に入門していた? そうだったかな…。デビューしたばかりで自分のことで精一杯だったからね。でも同じ寮で生活していたことは覚えてます。彼女は入ってきた時から「変わった子だな」と思ってましたね。

「とにかく強くなりたい!」と家出して全女に入ってきたんだけど、当時彼女は高校3年生だったからあともうちょっとで卒業できるのに、何でそんな急いで家を出てきちゃったんだろうって思ったのが最初の印象でしたね。

でも私よりもよくプロレスのことを知っていました。私は体が柔らかくて、覚えが速かったけど、ジャッキーは体がすごく硬かったから、ケガすることが多かったんです。ジャッキーも入って2か月くらいでデビュー戦(75年4月27日)が決まって、私が相手を務めました。どんな試合だったかとか覚えてないけど、15分くらいで時間切れの引き分けになった気がする。その時はまだペアを組むことになるとは思ってなかったですね。

彼女は寮にいても誰とも話さない一匹狼タイプで、私はみんなでわちゃわちゃテレビを見たりする性格。真逆の性格だったので、一緒に組むようになってからやっと話すことが多くなりましたね。そんな私たちは初めて組んだ試合でWWWA世界タッグ王座に挑戦することになりました。

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