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【宮崎祐樹連載#13】1年目のキャンプ 正田耕三打撃コーチの指導との相性は良くなかった

東スポWEB / 2024年11月13日 11時9分

正田耕三コーチの指導で悔しい思いを…

【宮崎祐樹連載 オリのゴリBsを知り過ぎた男(13)】記念すべきドラフト会議当日、僕はセガサミーの後輩とパチンコに興じていました。まさか自分がドラフトにかかるなんてないよ。そう思っていたらまさかのオリックス3位です。

その日はたまたま休日だったこともあり、マネジャーからの一報も放置。それでも「電話出ろ!」ってメールが鬼のように来るので、携帯に出たんですが、それでもイタズラだと思い込んでいたくらいです。

社会人野球チームのセガサミーにとって僕は最初のプロ野球選手です。そういう事情もあって、会社としても野球部としてもどう動いていいか分からなかったそうですね。もちろん、僕だって自分がどうしていいものか分かりませんでした。

だって、誰もノウハウがないわけですから。なので、その日はマネジャーと部長と佐々木監督とで「良かったね」ということでサラーッと終わっていきました。会見や取材なんて、一切ありませんでした。

オリックスの指名あいさつがあった当日は、東京本社に当時の長村編成部長、牧田スカウトが訪問してくださいました。その日も誰も取材には来てくれてませんでした。だから指名あいさつという部分では、どの新聞社にも僕の記事は残ってないんじゃないでしょうか(笑い)。

自分としてもなんとなくは想像していました。阪神や巨人のドラフト上位選手ならともかく、取材なんて来てもらえないだろうなと思ってはいました。ただ、あの日は松井稼頭央さんがメジャーからNPBに電撃復帰するからと帰国した日でもありました。取材のみなさんは空港に行ってたんだろうと思います。

オリックスとの仮契約を終え入団会見、新人合同自主トレ、沖縄・宮古島での春季キャンプと一瞬にして時が過ぎていきます。当時のオリックスで言えば外野は絶対的なレギュラーは中堅・坂口智隆さん、一塁と左翼の併用でT―岡田さんという状況でチャンスといえばチャンスではありました。

実際、開幕戦にはドラフト1位の後藤駿太が張本勲さん以来52年ぶりの高校出身ルーキーでの外野でスタメンという快挙を成し遂げました。ただ、僕は結果から言うと1年目は一軍出場ゼロに終わります。社会人出身である事実を考えれば厳しい現実でした。

セガサミーの佐々木誠監督には「大丈夫や。やれるから」と言われていたので、それならやってやろうという気持ちでプロの世界に入りました。ただ、僕は1年目のキャンプのときに大きなつまずきを経験していました。

当時の正田耕三打撃コーチはスパルタで有名な指導者です。僕はスパルタには慣れているはずなんですが、正田さんとの相性は良くありませんでした。指導者との相性を選手が言ってしまうと言い訳になるのは分かっていますが、悔しい思いをしたことを覚えています。

アマチュア選手はプロのスカウトに選手としていいところを見いだされプロの世界に挑戦してきます。その良さを頭から否定されると…。当時の若かりし日の自分としては、どうしようもない底なし沼にハマってしまった感覚でした。

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