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【宮崎祐樹連載#15】プロ1年目は指導者にめちゃめちゃ言われてノイローゼになりそうでした

東スポWEB / 2024年11月15日 11時4分

高代ヘッドからは烈火のごとく怒られた

【宮崎祐樹連載#15】選手の口から言ってしまうと言い訳になってしまうのですが、ルーキーイヤーの僕は指導者との相性が良くありませんでした。

1年目のキャンプ初日から正田耕三打撃コーチには、僕がアマチュア時代から取り組んでいた一本足打法を全否定されてしまいました。

それまでセガサミーの佐々木誠監督らと積み上げてきた打撃技術、引き出しをプロで試すこともかなわず、フォームをゼロから作り直すことになりました。

プロのコーチとして僕のためを思い、指導してくれたのだとは信じています。ただ、担当スカウトから「アマ時代の足を大きく上げる打ち方を変えないでね。そのことはコーチ陣にも伝えてあるから」と言われていただけに僕としてはショックでした。

そんな調子でのプロのスタートでしたので、いいアピールもできませんでした。一軍組でのキャンプスタートではありましたが、ある日、高代延博ヘッドコーチから二軍行きを命じられることになります。

フリー打撃を終えてロッカーへ戻る途中に高代コーチに呼び止められました。ヘルメットを脇に挟んで、バットを何本か持っていた状態で話を聞いていました。

「二軍へ行ってもらうことになった」。そう言われた後です。高代さんから突然「そやけどお前、何ちゅう態度で人の話を聞いとるんだ」と叱責を受けました。手に持っていた道具をどこかに置くなりして、話を聞けばよかったのかも知れません。それくらいは分かるつもりですが、打撃練習の直後に呼び止められたので僕にはどうすることもできませんでした。

岡田監督が信頼を寄せる高代ヘッド、正田打撃コーチの心証をキャンプ序盤から悪くしてしまいました。ルーキーとしてはよーいドンで大減点です。自分はこの世界でやっていけるのか正直、心配になりました。このままじゃ、2年くらいでクビになっても仕方ないと覚悟しましたね。

二軍に行っても苦悩は続きました。当時の新井宏昌二軍監督にも、僕は嫌われていたんだろうと思っています。新井さんは南海、近鉄で2038安打、300犠打を記録した左の巧打者です。器用ではない僕は「何で言ってることできないの? 何でそんなこともできないの?」とめちゃめちゃ言われた記憶があります。それはもちろん、できない僕が悪いんですよ。でも、本当にプロ1年目はキツかったです。ノイローゼになってしまうかと思ったほどでした。

僕はプロ1年目、1試合も一軍で出場することができませんでした。救いは1年目のオフに不動の1番・中堅だった坂口智隆さんに自主トレに誘ってもらえたことくらいですかね。その際には打撃技術や、いろいろな話を聞かせてもらうことができました。

いざ、2年目の2012年、僕は社会人出身ですから結果を出して活躍するしか道がありません。もちろん必死で練習に臨みました。キャンプを経てウエスタン・リーグの教育リーグでは打撃で結果を残すこともできました。

新井二軍監督もミーティングで二軍でのウエスタン・リーグ出場も結果主義で出場機会を与える方針であると聞きました。しかし、ここでも僕は試練に見舞われることになります。

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