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火野正平さんに濱田岳〝隠し子説〟を直撃! ISSA&手越祐也も嫉妬したモテ素顔

東スポWEB / 2024年11月21日 5時14分

格言を披露した火野さん

「昭和のプレイボーイ」として一世を風靡した俳優の火野正平さんが14日に死去していたことが、20日に所属事務所から発表された。75歳だった。〝モテ男の代名詞〟となり、男性有名人たちが「平成の火野正平」などと称される現象も生まれたほど。本人が知らないところで、後世のモテ男の闘争心にも火をつけていた。

事務所の公式サイトによると、火野さんは4月から持病である腰痛の治療に励んでいたが、夏の腰部骨折を機に体調を崩し、「最期まで仕事復帰を願っておりましたが叶いませんでした」。

葬儀はすでに家族葬で営まれ、「長らくこのお仕事に携わり関係者の皆様には大変お世話になりました 重ねて御礼申し上げます 応援してくださった皆様にも心から感謝申し上げます」とつづると「この訃報にて弊社とご家族からのお知らせとさせていただきどうか静かに見送らせてください」と伝えた。

火野さんは1962年、子役としてフジテレビ系「少年探偵団」でデビュー。73年のNHK大河ドラマ「国盗り物語」の羽柴秀吉役が話題となり、ブレーク。翌74年には映画「俺の血は他人の血」で初主演を果たした。その後は「必殺仕置人シリーズ」や「長七郎江戸日記」、NHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」などテレビ、映画に多数出演した。

また、歌手としても活躍。昨年3月には約14年ぶりとなる新曲「あかんたれ」を発売。2011年からは、自転車に乗って全国各地を巡るNHKのBS番組「にっぽん縦断 こころ旅」に出演した。今年9月に腰部の圧迫骨折で出演を見送るまで14年間にわたって出演していた。

火野さんの〝遺作〟は8月公開の映画「ラストマイル」になった。主演は女優の満島ひかり。火野さんは配達ドライバーを好演した。

「火野さんの演技力、存在感は抜群で、主演の満島さんを食うのではと評されるほどでした。撮影は2022年末~23年頭。持病の腰痛が悪化する前でした」(映画関係者)

そんな火野さんの代名詞といえば、芸能界一といわれた昭和時代のプレイボーイぶりだ。70年代のワイドショーをにぎわせ〝最大11股〟と報じられたことも。昭和以後も、女性遍歴が華麗な男性有名人が「平成の火野正平」と形容されてきた。

09年にインタビューに答えた際は、女性の口説き方について、説得力にあふれた回答を披露。色紙に「ほしいとおもったら ひたすら おねがいしろ」としたため、「『最低の女』と『最高の仕事』のどちらを選ぶかって聞かれたら、最低の女に決まってるだろ」「1番は遊ぶこと。2、3番が仕事。芸能界には『いい人いい役者にあらず』って言葉があるんだ」などと、明かしていた。

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