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〝不穏ムード〟を吹き飛ばした北の富士さん「路上でがっぷり四つ」

東スポWEB / 2024年11月21日 6時4分

記者の〝ピンチ〟を救ってくれた北の富士さん

大相撲の第52代横綱・北の富士勝昭さん(本名・竹沢勝昭)が死去していたことが、20日にわかった。82歳だった。現役時代は速攻相撲を武器に10度の優勝を達成。長身と甘いマスクでも人気を集めた。引退後は親方として横綱千代の富士、横綱北勝海らを育成。退職後はNHK大相撲中継の解説者としてファンに親しまれたが、体調を崩して昨年春場所から休養していた。本紙元担当記者は、北の富士さんとの忘れられない出来事を振り返った。

顔を見せるたびに「太刀川さん、元気?」と聞いてきた北の富士さん。後援会長の縁で本紙・太刀川恒夫名誉会長とも交流があったからだ。粋人同士、さぞ手が合ったことだろう。そんなこともあって、取材にはいつも快く応じてもらった。そんな北の富士さんに〝救われた〟一件は今も忘れられない。

ある年の東京相撲記者クラブ年次総会。二子山親方の本紙提訴にともない対立の構図ができていた本紙記者と相撲協会幹部が宴会に同席することになって、周囲は緊張に包まれた。隣同士にならないように、記者クラブ幹事に最初から席を決められ理事長らとは距離を取られたものの、その席からは動けず。様々な感情が交錯し「殺伐とはこのことか」と眉間にしわを寄せたままで宴会を終えた。

不自由な思いをさせたことに対するおわびなのか、記者クラブ幹事らが二次会に誘ってくれ向かっていると、前方から北の富士さん(当時は陣幕親方)や北の湖親方ら協会幹部の一部がこちらに向かって進んでくる。こちらの一団には軽い緊張が…。その心配を吹き飛ばすように、北の富士さんは意外な行動に出た。

私の姿を見つけて「おっ」と小さく叫んだ北の富士さん。そして笑顔を見せた次の瞬間、いきなり私をがっぷり四つに組み止めたのだ。

「よーし、ほらほら、どうだどうだ」と言いながら胸を合わせてがぶってくる。左を差され、私の右の腕は完全に返されている。何だかわけもわからずおかしくなって、眉間のしわや、ささくれた気持ちははどこかに消え、自然と笑っていた。

適当なところで組み手を解いた北の富士さん。ここでも「太刀川さんによろしく言っといてな」と言い残して立ち去っていった。対立している協会、しかも幹部の中に味方がいるということを示してくれた、その心意気が何よりうれしかった。

後日、本紙の先輩記者に「訴えるなんてバカだよ。〝理屈〟をわかってないんだよアイツは」と北の富士さんは真顔で話しかけてきたという。その言葉の正しさは、二子山部屋がその後にたどった道を見れば一目瞭然だろう。

いつもさわやかで、しかもスマートだった北の富士さん。順番とはいえ残念でならない。

(元大相撲担当・吉武保則)

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