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【宮崎祐樹連載#21】坂口智隆さんモデルが原型のバットを引退までずっと使っていました

東スポWEB / 2024年11月27日 11時14分

坂口智隆からは野球に関するさまざまなアプローチを伝授された

【宮崎祐樹連載 オリのゴリBsを知り過ぎた男(21)】2012年1月、僕がプロ1年目を一軍出場ゼロで終えた後の自主トレ期間でした。この時期の自主トレに僕は、当時のセンターのレギュラーだった坂口智隆さんから「一緒にやろうや」と誘っていただきました。

それまで坂口さんは大先輩の田口壮さんと自主トレをしていました。オリックスの1995、96年パ・リーグ連覇の立役者でありメジャーでも世界一を経験している超大物です。ただ、11年シーズンを最後に引退されたので、坂口さんも独り立ちという形になったタイミングで僕も合流させていただいたんです。

僕はプロでは外野手として登録されていましたが、大学まではキャッチャーです。社会人になってから外野手をしていますが、プロの世界では絶対的に経験が足りませんでした。坂口さんにはとにかく守備についていろいろな話を教わりたくて、一緒に練習しながら数多くのことを質問させてもらいました。

坂口さんの自主トレにはトレーナーさんも帯同してくれていました。僕は太ももの裏を肉離れしてしまうクセもあったので、非常に助かりました。鍛えながらも弱い部分を守ってケガしないようトレーニングするって、我流ではなかなかできませんからね。

あと、これも大きかったですね。その自主トレで僕は坂口さんからバットを頂いたんです。そのバットが本当に自分にフィットして「これめっちゃええやん」となったんですね。それから僕のプロとしてのバットの原型は坂口さんモデルです。引退するまでずっと使ってましたね。

僕は社会人野球・セガサミーの後輩であるDeNA・宮崎敏郎に坂口さんモデルとは別の僕のオリジナルバットを贈ってるんですね。実際に気に入ってくれて今でもマイナーチェンジしながら使ってくれているんです。日本シリーズを制覇したDeNAの中軸・宮崎が使っていることは素直にうれしいです。

そんなことを話していると思い出してしまいました。僕の入団した翌年のドラフト1位・安達了一内野手(24年シーズン限りで引退。現在はオリックス内野守備走塁コーチ)も、僕のオリジナルモデルのバットを使ってくれていました。

しかも、安達の場合は契約メーカーさんから「安達モデル」のバットが発売されていましたからね。もともとは僕が使っていたバットのモデルなんだから「ロイヤルティーよこせよ」って冗談で言ったりしてましたね。

となると、僕はもともとアマ時代から誰のモデルのバットを使用していたのかというと、小久保裕紀(ソフトバンク監督)さんモデルでした。話が脱線したので少し元に戻しますね。

坂口さんの自主トレでは守備の引き出し、バッティングの引き出し、故障予防の引き出しなどさまざまな野球に関するアプローチを伝授していただきました。

さらにです。坂口さんには僕が苦手にしていたコーチとの距離感や対人関係の考え方などを教えていただきました。僕自身も精神的に追い込まれて悩んでいたのですが、あるひと言で一気に解決に結びつきました。考え方ひとつで状況が激変しました。次回はそのあたりについて触れたいと思います。

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