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【マキ上田連載#18】プロゴルファーを諦め結婚、そして現在は浅草で釜飯屋の女将に

東スポWEB / 2024年11月27日 11時14分

全日本女子プロレス25周年セレモニーに参加したマキ(前列左から3人目)

【マキ上田 ビューティ・ペアかけめぐる3年間の軌跡(18)】1999年8月に「ビューティ・ペア」の相棒だったジャッキー佐藤が41歳で亡くなりました。驚きとショックを感じながら、私は鳥取でお店を営んでいました。鳥取でお店を開いて10年以上が経過し、急に青春時代を過ごした東京に戻りたいなと思ってお店を閉めることを決意しました。

東京に戻ってからは友人のお店を手伝ったりブラブラしてたら、レスラー時代から仲が良かったプロゴルファーの友達に誘われてゴルフを始めました。意外とゴルフのセンスがあったみたいで初めて出たコンペでホールインワンを出しちゃって。そこからゴルフのテレビ番組に出たり、スポンサーもついて。本気でプロゴルファーにさせようとしたスポンサーさんの勧めで矢板カントリーっていう有名なクラブで1年間修業していました。でもゴルフって小さいころからやってる子が圧倒的にうまくて有利。40歳を過ぎて始めた私はプロになれませんでした。

プロゴルファーを諦めた時期にまた違う友人が東京で新しくスナックをオープンするから「いろいろ教えてほしい」って言われて。お手伝いしていた時に今の旦那と出会いました。彼は昔からプロレス好きで私の試合もよく見てたみたい。知り合ってから一緒に飲みに行ったり、ご飯を食べに行くようになった。私って昔から恋愛に疎くて若い時からいろんなところを旅してきたから「自由でいたい」って気持ちが強くて結婚願望はありませんでした。

鳥取にいた時も何人かお付き合いした人はいたけど、友達の延長みたいな感じになってしまうことが多かったかな。彼は私に何度も遠回しに「付き合って」とか「結婚して」って言ってたみたいなんだけど、私は気が付かなくて。どんな関係にしたいのかわからなかったから、私が「付き合ってほしいなら、付き合ってってはっきり言ってよ」って。そしたら「そうだよ」って言われて付き合うことに…。

それからお母さんとお姉さんを紹介されて、旦那のお店(釜飯屋・田毎)の上で一緒に住むことになりました。旦那の父が創業した釜飯屋を手伝うことになって、周りにも認められるようになって48歳の時に結婚。でも籍は入れない。フランス婚ってやつ(笑い)。私は結婚して浅草で働いていることを誰にも知らせてなかったから来てくれたお客さんもびっくりしてましたね。

数年後に「懐かしのあのスターは今? その後スペシャル」(テレビ東京系)っていう番組で取材されたことがあって。そこで「今は浅草の釜飯屋で女将やってます」って紹介してもらったらファンの子は驚いたみたい。番組を見た子たちがお店に押しかけてきて、ずっと満席状態。大行列ができてましたね。

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