「和製マットの魔術師」マイティ井上さん 〝宝物〟はアンドレからもらったアタッシェケース
東スポWEB / 2024年11月29日 5時9分
元プロレスラーで国際プロレスや全日本プロレスなどで活躍したマイティ井上さん(本名・井上末雄)が27日午前、神戸市内で心室細動のため亡くなった。75歳だった。井上さんは幼少期からプロレスラーに憧れ、高校時代に国際入り。高い技術とパワーで一躍団体を引っ張る人気者となった。引退後はレフェリーとしても活躍し、現役時代同様に多くのファンに愛された。まさにプロレス一筋の人生だった。
昭和を彩った名レスラーがこの世を去った。兄・譲二さん(77)によると、井上さんは1年前まで宮崎・都城で生活していたが、糖尿病や腎臓に病を抱えるなど体調を崩していた。昨年11月に神戸に住む譲二さんのもとに居を移し療養。元気を取り戻し、10月には都内でのトークショーにも出席していた。しかし27日朝、神戸市内で兄に付き添われた通院の途中で倒れ、意識を失った。すぐに救急車で病院に運ばれたが、午前9時59分、帰らぬ人となった。
幼少よりプロレスラーが憧れだった。「子供のころ、大阪に力道山やシャープ兄弟が来て、見に行ったんです。弟は親父のヒザに座ってね。『プロレスラーになる!』と。それが始まりでした」(譲二さん)。中学時代には力道山のもとを尋ね入門を希望したが、吉村道明に「高校生になったら来て」と断られたという。高校時代はボディビルで鍛えた。ジムの会長が国際プロレスと縁があり、高校2年で上京して入門。1967年7月にデビューした。
抜群の運動センスを持ち、空中殺法を駆使する天才肌のレスリングが身上だった。74年10月には、ビリー・グラハムを破りIWA世界ヘビー級王座を獲得。その後はグレート草津やアニマル浜口らと組み、IWA世界タッグ王座にも輝いた。変型セントーンの必殺技サマーソルト・ドロップが代名詞。「和製マットの魔術師」の異名もとった。
プロレス評論家で本紙記者として国際プロレスを担当した門馬忠雄氏は「175センチ、105キロ。『小さな実力者』でしたね。決して大きくない体で国際の若きエースとして一生懸命戦った。(ベルトを奪った)グラハムなんて、筋肉オバケだよ。大型化の時代に、見事に国際をけん引した」と当時を振り返った。
誰からも愛される人柄。国際時代のフランス遠征で仲良くなったアンドレ・ザ・ジャイアント(モンスター・ロシモフ)とは親友となり、国際プロ招聘の立役者となった。
全日本に主戦場を移し活躍後、98年6月に現役を引退。レフェリーに転向し、全日本やノアで試合をさばいた。レフェリー引退試合となった2010年のノア後楽園大会では、観客に大「マイティ」コールで迎えられ、選手たちからは胴上げで祝福された。
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