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中村紀洋「絶対に外角のカットでくる」 松坂大輔からサヨナラ2ランでM1【平成球界裏面史】

東スポWEB / 2024年12月1日 9時10分

サヨナラ2ランで生還し揉みくちゃにされる中村紀洋(2001年9月)

【平成球界裏面史 近鉄編81】平成13年(2001年)、9月24日はローズにとって忘れられない一日となっている。近鉄はマジック3。本拠地・大阪ドームに優勝争いを演じていた西武を迎えた大事な1戦だった。そこでローズは松坂大輔から当時のNPBタイ記録となる55号本塁打を記録した。

「松坂からホームランを打って王さんに並んだ時は、まだゲーム展開としては負けていたんだ。だから、無茶苦茶に喜ぶわけにいかなかったし、あの1戦をモノにしようと必死だったね」

そうローズが振り返るように試合は9回を迎えた時点で近鉄の2点ビハインド。松坂が続投している状況だった。それでも代打・北川の左越えソロで1点差。一死後に水口が四球を選び、ローズとしては新記録の56本塁打でサヨナラ勝利という場面が巡ってきた。

だが、ローズはフルカウントから空振り三振を喫し二死一塁。ここで中村紀洋が打席に入った。初球は138キロのカットボールが内角へ抜け気味に外れボール。2球目は140キロのカットが外角へ外れた。カウントは2ボール1ストライク。ここで中村は確信を持った。

「絶対に外角のカットでファウルを取りにくる。あのカウントではボール球を投げにくい。だからゾーンに投げてくる確率が高い。最初は真っすぐ狙いやったけどね。あそこは腹をくくったね」

中村の読み通りだった。3球目は144キロの外角カットボールだった。

「大輔のカットは外に滑るように曲がっていくイメージではない。外に抜けていくような軌道でホップしてくるように見える。だからボールの外側を上からシバいて『右方向に引っ張る』イメージで打たんと打たれへん」

言葉通りの打撃を実演した中村は打った瞬間、両手を上げた。打球は右中間スタンドに飛び込む45号サヨナラ2ランとなり、近鉄にマジック1が点灯した。この一発は松坂にとって人生最初で最後、野球人生唯一のサヨナラ被弾となった。

ローズは「僕は三振やったけどノリが打ってくれた。勝てばいい。最高やったね。近鉄が負ければまだ西武にチャンスがあったんだけど、あれでマジック1になって優勝が決定的になった。もう何年も経過したけど、あのシーズンって松坂もノリも金髪なんよね。流行ってたんかな?」と当時を振り返る。

ローズはこのシーズンパ・リーグMVPに選出された。46本塁打の中村とローズの合計101本塁打は驚異的数字。打点でもローズの131と中村の132はとてつもない数字だ。

ローズはヤクルトと戦った日本シリーズでも第2戦で決勝の3ランを記録。第4戦でも本塁打を放った。近鉄のいてまえ打線は機能せず、1勝4敗で日本シリーズは敗退とはなってしまった。だが、ローズは敢闘賞を獲得した。

近鉄球団は平成16年(04年)の球団合併で消滅してしまった。そのため、結果的にローズは近鉄球団に在籍した選手で日本シリーズにおいて本塁打を記録した最後の打者となってしまった。

自身の大活躍もあり近鉄最後のリーグ優勝の立役者となったローズ。最高の思い出を作ってシーズンではあった。だが、このシーズンのローズはもう一つの戦いを演じていた。その戦いはいわゆるガイジン助っ人にとって非常に高いカベだった。

NPBで55本塁打を記録する意味。優勝を決めた後のローズはまざまざと現実を感じる事になる。

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