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【吉田秀彦連載#5】バルセロナ五輪で金メダル キレキレのあの頃に戻りたい

東スポWEB / 2024年12月9日 16時5分

吉田はカカトを骨折しながら金メダルを獲得(92年7月)

【波瀾万丈 吉田秀彦物語(5)】1992年バルセロナ五輪の予選だった講道館杯で1回戦負け。試合後は内臓疾患で病院に運ばれました。原因は無理な減量でした。時間かけずに飲まず食わずでやっていましたが、これをきっかけに栄養士をつけることにしました。2か月くらいかけて減量して。本当にきつかったのですが、体調管理ができたので体は動きましたよね。

当時の体脂肪率はたった3%でしたからね。最後はツバまで吐いて体重を減らしていました。それでも体調管理をきちんとしたことで、五輪最終予選会の全日本選抜体重別で優勝できて、バルセロナ五輪に出られるようになったんです。

でも、その時点では金メダルなんて、全然見えていませんでした。何より当時はまったく注目されていませんでしたから。前年(91年)の世界選手権では小川(直也)先輩、岡田(弘隆)先輩、古賀(稔彦)先輩、越野(忠則)先輩が優勝。男子で金メダル獲得が期待できると、注目されていたのはその4人だったので、自分は気楽なもんでしたよ(笑い)。

それで五輪前に実業団の大会に出たんですが、足を負傷して痛みが取れない。でも実業団大会後のレントゲン検査では、なにも異常はなかったんですよ。だから、吉村(和郎)先生に「捻挫だから、大丈夫だな」って言われて…翌日からの福岡での強化合宿には足首にギプスして行ったんです。それで「大したことないから」と、ギプスをしたまま、打ち込みをやらされました(笑い)。

バルセロナ五輪では重量級から競技が始まって小川先輩が負けて、岡田先輩が負けて、自分の出番まで金メダルがありませんでした。だから「俺が負けても気楽でいられるな」とプレッシャーもなく、開き直っていけました。体重も試合の2~3日前には77・7キロまで落ちていました。

78キロ級決勝では組んだ瞬間に「いけるな」と思いましたし、内股で一本勝ちしました。結果オール一本勝ちで金メダル獲得となりましたが、それは後から気がついたことでした。当時の映像を見返すと、内股はキレていましたねえ。体も痩せていたし、技もキレキレだったし、あの頃に戻りたい(笑い)。

それで五輪後にスペインから帰っても痛みが取れず、病院に行ったらカカトの骨が真っすぐに折れていました。正直、いつ折れていたのかはわかりません。でも、もし最初のレントゲンで骨折とわかっていたら、五輪には出場さえできなかったでしょう。精神的にもダメージを受けて「骨折だ、どうしよう」と、慎重になり、練習の内容とかにも響いたはず。それが「捻挫だったら何とかなるな」と思えたのだから「運」があったんだと思います。「ツキ」がありましたね。

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