追悼マイティ井上さん1974年10月7日“初王座奪取”小さな巨人が大きな金字塔
東スポWEB / 2024年12月15日 10時9分
【昭和~平成スター列伝】国際プロレスや全日本プロレスなどで活躍した“和製マットの魔術師”ことマイティ井上さん(本名・井上末雄)が11月27日神戸市内で心室細動のため亡くなった。75歳だった。高校を中退して国際入り。高い技術とパワーで団体を引っ張りトップ選手となった。引退後はレフェリーとしても活躍し、多くのファンに愛された。
175センチ105キロと体は決して大きくはなかったが、プロレス評論家で本紙記者として国際プロレスを担当した門馬忠雄氏は「運動神経と頭の切り替え、技術的にはズバ抜けていた。天才肌だったね。ピンクとかハデな色のコスチュームも新鮮で注目を浴びた。負けん気も強いし、あの体格で馬場・猪木の全日本・新日本に張り合っていたのはすごいと思いますよ」と絶賛する。
その井上のレスラー人生のハイライトは、やはり1974年10月7日越谷大会で“スーパースター”ビリー・グラハムからIWA世界ヘビー級王座を初めて奪った試合だろう。本紙は1面で詳細を報じている。
『国プロの命運をかけて井上は10月1日の大分、5日の愛知で“最強”グラハムに挑んでいる。第1戦は1―2、第2戦は1―1の引き分け。あと一歩のところでタイトルを奪えなかった。この日は「死んでもタイトルを奪う!」と気迫が違った。1本目はボディーアタックに出たグラハムの動きを冷静に見ていた井上が素早く体を入れ替え、コーナーに振って逆にパンチ、キックで左足を痛めつけ、逆片エビ固めで先制した。2本目、井上はドロップキック、フライングヘッドバットと立体攻撃に出るも、トドメの回転ドロップは2発目を自爆。グラハムはボディースラムで場外へ投げ捨て、戻ってきたフラフラの井上を背後からガッチリと背骨折りに捕らえると井上はギブアップ。タイに追いつかれた。最後の1本にかけた井上は突進してくるグラハムに回転エビからバックドロップ。先に立ち上がったグラハムは気力を絞って背骨折り。だが汗で手がすべった。井上は逆にグラハムを巻き込んで逆さ押さえ込み。この瞬間、新チャンピオンが誕生した』(抜粋)
3連戦を取材した門馬氏は「筋肉オバケに力で対抗してもかなわない。前の2試合で分かったんでしょう。最後は直感的に素早く動いて丸め込んだ。頭の切り替えがとにかく早かった。彼の良さが凝縮された試合だったんじゃないかな。私の記憶から永遠に消えることのない名レスラー。改めてご冥福をお祈りします」と名勝負を振り返り、追悼の意をささげた。短期政権に終わったものの、グラハム戦は「小さな巨人」が打ち立てた「大きな金字塔」だった。 (敬称略)
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