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力道山生誕100年… 追悼試合で猪木に狙いを定めた星野勘太郎&山本小鉄の「意地」 取材記者が回想

東スポWEB / 2024年12月15日 10時9分

星野(左)は猪木の首を絞め山本はボディーに蹴りをブチ込んだ(1967年12月、後楽園ホール)

【プロレス蔵出し写真館】今日、12月15日は〝日本プロレス界の父〟力道山の命日だ。

力道山は今から61年前の1963年(昭和38年)12月8日、赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で暴力団員の男に刺され、1週間後の12月15日に赤坂の山王病院で亡くなった(享年39)。

今年は、24年(大正13年)11月14日(諸説あり)に生を享けた力道山の生誕100年でもあった。

先月14日に次男・百田光雄が力道山が眠る池上本門寺で「力道山生誕100年 感謝の集い」を開き、レスラーでは小橋建太が出席した。

また、9日には妻の田中敬子さんが日比谷の帝国ホテルで「生誕100年記念パーティー」を開催して、福岡ソフトバンクの王貞治会長や、力道山と懇意だった元プロ野球選手の張本勲、江本孟紀、アナウンサーの徳光和夫ら各界の著名人を含む約350人の招待客でにぎわった。レスラーでは小橋、藤波辰爾らが出席。佐々木健介と北斗晶夫妻が乾杯あいさつを行った。

40年近く疎遠だという田中敬子さんと百田光雄だが、かつては追悼試合で仲良く並んで観戦する姿があった。

さて、67年(昭和42年)12月15日、後楽園ホールで行われた「力道山追悼大会」では興味深い試合が行われた。

10人参加のスペシャルバトルロイヤルだ。参加選手はアントニオ猪木、吉村道明、上田馬之助、星野勘太郎、山本小鉄、高千穂明久(後のザ・グレート・カブキ)、長沢日一、ジャック・ブリスコ、ビクター・リベラ、ニック・コザック。

試合が始まると、ベテラン長沢がイキのいい高千穂のドロップキックを浴び、4人に上から乗られて早々と姿を消した。外国人3人は多勢に無勢で、日本組の集中砲火を浴び退場。要領の悪い上田は〝ついでに〟退場させられた。残った5人は〝大御所〟の吉村にターゲットを絞り、ボディースラムにいく吉村を押し潰して押さえ込む。残りの3人は〝談合〟して猪木に襲い掛かった。

1人で奮闘する猪木は高千穂に目の覚めるナックルパンチ一閃。高千穂がダウンすると星野と山本は2人がかりで猪木を攻め立てる。星野が猪木の首を絞め、山本はボディーにキックをぶち込んだ(写真)。

この年の1月に米国に武者修行に出発した星野と山本は、テネシー地区でタッグコンビ「ヤマハブラザーズ」を名乗り活躍。凱旋帰国を果たしたばかりで、チームワークは抜群。乗りに乗っていた。

2人で猪木をロープへ振り、帰ってきた猪木をダブルのボディースラムで投げ捨てる。猪木も反撃して2人を場外に投げ、リングに戻った星野を猪木はボディースラムで持ち上げると、山本は軽やかにコーナー上段にのぼると、振り向きざまダイビングボディーアタックを敢行した。今でこそ珍しくはない技だが、当時としては画期的なもので、テネシー仕込みと称された。

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