【吉田秀彦連載#9】小川直也先輩がプロレスに行ったせいで明治大学柔道部監督に就任 自分の貯金がなくなった…
東スポWEB / 2024年12月16日 16時4分
【波瀾万丈 吉田秀彦物語(9)】1996年のアトランタ五輪ではメダルを取れませんでしたが、97年に大きな転機がやってきました。母校・明治大学柔道部の監督を務めることになったのです。
あれは次期監督に就任する予定だった小川直也先輩が、プロレスに行ってしまったから。次にやる人がいなくて、自分に声がかかったんです。まあ、明治の道場には練習で毎日行ってましたから。でも話があった時、最初にきちんとこうお伝えしたんです。「やるのはいいですけど、何もやらないですよ」って。当時、監督の仕事は練習を見るだけだと思っていましたから。何より、現役選手でしたからね。
それが…実際に監督をやってみると、練習を見るだけでは済まないんです。部員の勧誘があるし、就職活動も手伝わないといけない。部員を勧誘するために東北各県を回ったり、就職活動で大阪を日帰りしたり。本当に動き回っていたし、柔道以外の活動が結構大変でした。
実際の指導?「強くなろう」と思うやつは、自分でやりますよ。そこであと一歩、追い込む練習をさせるのは監督の仕事だと思っていました。言葉で教えるより、部員と一緒に練習をするほうが楽でしたから。自分としては監督専任より、プレーイングマネジャーで良かった。監督をやりながら選手もやって、態度で見せられましたから。割合で言えば監督業8、選手2。99年の世界選手権バーミンガム大会では監督をやりながら、90キロ級で優勝。部員に見せつけてやりました(笑い)。
当時の明大柔道部監督は無給だったので、諸経費や部員との交流には自分の貯金を崩して使いました。OB会が柔道部を運営していたので、当時の監督はボランティアみたいなもの。だから、自分はお金をもらっていなかったんですよ。今の柔道部は違いますが、その結果、自分の貯金は全部なくなりました!(笑い)。だから、毎週柔道教室を開催し、お金をつくっていきました。
監督業は大変だったけど楽しかったですよ。いろんな人に出会えた。だから今があると思っています。地方に行けば、明大柔道部の先輩が必ずいる。今まで関わりのなかった先輩にも会えて楽しかったな。新潟に部員の勧誘に行った際は現地の先輩に連絡しました。その先輩は日本酒「越乃寒梅」の社長(※)です。勧誘の後にごちそうになり、酒造所も見学させてくれました。そういう偉大な先輩方のおかげで、本当にいい経験ができましたね。
親御さんたちと問題が起きたことはなかったですし、部員が入る前にきちんと筋を通していました。「お預かりしたからには責任を持ちます」と約束しましたね。
※石本酒造代表取締役の石本龍則氏。
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