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自ら「死亡記事」執筆、「ナベツネ」に激怒、問題発言連発も… 長嶋茂雄氏が慕い続けた渡辺恒雄さん

東スポWEB / 2024年12月20日 6時4分

監督続投が決まり会見する長嶋茂雄氏(左)と渡辺恒雄氏(1998年)

【赤ペン!特別編 赤坂英一】球界に絶大な影響力を誇った元巨人オーナー・渡辺恒雄さんが98歳で亡くなった。今から実に24年前、74歳だった2000年、渡辺さんは「私の死亡記事」(文藝春秋)という本に、次のような一文を寄稿している。

「渡辺恒雄氏、21年4月30日、自宅庭の梯子から転落し、外傷性脳内出血のために死去。94歳」

自宅に飛来するカラスを撃退するため、庭木に毒入りのエサをつるそうと、ハシゴを立てかけて登っていた最中、誤って転落死したと自分で書いたのだ。94歳没としたのは、その年で他界した前名誉会長・務台光雄氏を意識してのことだろう。

渡辺さんが球界の前面に出てきたのは、巨人が4位に低迷した1991年から。自分が横審委員(のち委員長)だった大相撲を引き合いに出し「あっちは真剣勝負だ。巨人はテレンコテレンコやりやがって」と発言。以後、われわれ巨人担当記者は連日、渡辺さんを追いかけ回し始めた。

ただし、何か言うたびに「ナベツネ吠えた!」と書かれることに、渡辺さんはご立腹だった。

「逮捕された犯罪者でも名前に『容疑者』が付く。裁判になっても『被告』が付く。なんでオレだけ呼び捨てなんだ! 名誉毀損で訴えるぞ! 訴状が届くのを待っとけ!」

野球を知らないとやゆされることもあったが、巨人を人一倍愛していたことも確か。東京ドームへ観戦に来て巨人が負けると、かわいさ余って何とやらで、長嶋茂雄監督の選手起用を痛烈に批判した。

不振の清原和博が欠場したら「これで勝利要因が増えたな」。マントという新外国人が打てないと「マントとクスリは逆に読んだらいかんのだ」。長嶋監督が何度も継投に失敗すると「頭を使えと言ってるだろう!」。長嶋監督の投手起用に問題があるからと、渡辺さん自らコーチ人事に口を出したこともあった。「長嶋くんでも一目置く大物投手コーチが必要だな。1人候補がいるんだ」と話したが、これは結局実現しなかった。

そんな渡辺さん、実は当時から死期を意識した発言も少なくなかった。98年には、前立腺がんにかかったことを巨人の球団事務所で球団旗を背に発表。いつもとは違う淡々とした口調で「私はがんだ」と告白している。

そのシーズン終盤、長嶋監督解任、後任に森祇晶氏が就任するという報道が飛び交い、10日間もの大騒動に発展。渡辺さん自ら事態の収拾に乗り出し、最後は長嶋監督との直接会談で「もう1年、巨人を頼む」と要請し、続投で決着させた。とてもがんが治癒したばかりとは思えないタフネゴシエーターぶりである。

2003年の巨人監督交代騒動では「読売グループ内の人事異動だ」、04年球界再編騒動では「たかが選手が」とファンのひんしゅくを買うような問題発言を連発。当時はすっかり悪役扱いだったものの、長嶋監督はずっと渡辺さんを慕っていたようだ。昔、担当記者との雑談で、ふとこうもらしていたことがある。

「(渡辺)オーナーは私を巨人に戻してくれたんですよ。本当にすごい人です。私なんか、いつでもオーナーの手のひらの上なんですから、ええ」

なお、冒頭の渡辺さん自身による「私の死亡記事」の末尾にはこうある。

「(巨人は)00年秋に優勝して以来、19年まで20連覇を達成。その間、長嶋茂雄監督を26年間にわたり続投させた」「同監督は84歳と世界史上最長寿の監督としてノーベル・スポーツ賞(実際は存在しない)を受賞」

渡辺さんの訃報に一番ショックを受けているのは、長嶋さんではないだろうか。謹んでご冥福をお祈りします。

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