鈴木宗男氏 渡辺恒雄さんとの〝遺恨〟激白「私に出馬するなと厳しく言われた」
東スポWEB / 2024年12月20日 20時2分
鈴木宗男参院議員(76)が20日、自身のブログを更新。19日に亡くなった読売新聞主筆の渡辺恒雄さんとの思い出をつづった。
渡辺恒雄さんの最初の対面は1969(昭和44)年、中川一郎氏の秘書を務めていた時代にさかのぼるそうで、「中川一郎先生の秘書になってから大変お世話になった。秘書の頃、『鈴木君はよく働く』と言われたことが懐かしい」と振り返った。
しかし、1973年に中川一郎氏ら自民党の若手議員31人が「青嵐会」を結成すると、これを渡辺さんが中央公論で批判して両者の関係が険悪になった。
さらに宗男氏は「中川先生が亡くなった後、継ぎの継承問題についても口をはさみ、私に出馬をするなと厳しく言われた」と〝干渉〟があったことを告白。
「当時、読売新聞の常務であり中曽根総理とも親しいこともあり、私にとっては相当なプレッシャーだったが私はそれを跳ねのけ出馬し、当選することができた。あの時、出ていなければ政治家鈴木宗男はなかった」と人生のターニングポイントだったことを明かした。
1983年の衆院選では宗男氏は自民党の公認を得られず、無所属で北海道5区から出馬。自民党公認の中川昭一氏(中川一郎氏の長男)としれつな争いの末、4位で初当選(当時は中選挙区)。当時35歳の若さだった。
「人生、あの時、こうしていれば、いやこうしていたらという思いがたたあるが、42年前、断固信念を持って『出る』と言った私の判断は、間違っていなかったと確信している」と振り返った宗男氏は、渡辺さんを強烈に心に残る人だったとしつつ、「心からのご冥福をお祈りするものである」と追悼した。
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